タグ

japaneseに関するlapis25のブックマーク (6)

  • NHK放送文化研究所 - 「ひとごと(人事)」と「たにんごと(他人事)」

    「他人」に「事」と書く「他人事」について、「ひとごと」と「たにんごと」という二とおりの読み方・言い方を耳にします。放送での読み方などは、どうなっているのでしょうか。 まず、「他人事」「たにんごと」という表記(書き方)と言い方・読み方は、どちらも放送では原則として用いないことにしています。「自分に関係ないこと」などを意味する場合の伝統的な言い方は「ひとごと(人事)」[ヒトゴト]とされ、放送でもこの語法を採っています。表記は、「ひと事」または「ひとごと」です。 ×「他人事」「たにんごと」 【解説】 ご指摘の「他人事」という用語は、近年「ひとごと」に加えて「たにんごと」という読みで使われることも多く、むしろ最近では一般に後者のほうを耳にすることが多いようです。しかし、「自分には関係ないこと」「自分には利害関係のない他人(たにん)のこと」などを意味する場合の伝統的な語・ことばは「人事(ひとごと)

  • http://homepage3.nifty.com/harebuta/mazegaki.htm

    学問のすずめへもどる     ●現在の心境 こういうことはなかなか改善されないようです。すこし距離をおきますが、過去の記事は残しておきます。(2007/8/9) まぜがきをなくそう平成14年4月1日より書き始めました。少しは成果あったようです。平成16年2月文化審議会国語分科会の答申が出たが、平成15年11月5日答申案とたいして変わらないようだ。(一番下にこの件の記事 ★まぜがきとは、「児童」を「児どう」と書くことです。漢字とかなを交ぜて書くので、交ぜ書きといっています。 なぜまぜがきがいけないのか、考えていきます。 私はこれが現在の教育、子供問題の原因のひとつだと考えています。まずこれをやめることからはじめなければ、問題解決はできません。その第一歩が「子ども」表記の追放です。これもまぜがきですね。 戦前の教育を受けた世代、丸谷才一氏などは、旧かな遣いを推進しています。確かに理

  • 404 Blog Not Found:perl - ('ぁ' .. 'ん') は動きません

    2006年06月08日17:30 カテゴリLightweight Languages perl - ('ぁ' .. 'ん') は動きません PerlのRange Operator, ..は便利なものですが、限界もあります。 my @alpha_small = ('a' .. 'z'); は期待通りに動いても、 my @hiragana = ('ぁ' .. 'ん'); はそうはならないのです。 ただし、簡単な解決策もあります。 my @hiragana = map { chr } (ord('ぁ') .. ord('ん')); Perl 5.8.1 以降は tr/ぁ-ん/ァ-ン/も、qr/[α-ω]/も使えるのに、範囲演算子はそうでないというのはバグに見えないこともないですが、私自身はこれでもいいと思います。というのも範囲演算子の場合、$a .. $bという変数も受け入れなければならないから

    404 Blog Not Found:perl - ('ぁ' .. 'ん') は動きません
  • 最上の日々 - ノウハウとウハウハって似てるよね。

    ▼ メモ(標準文体の確立過程に関係する文書) 文章読(中村 真一郎 著、新潮文庫)より  由来、日人は言葉に伝統的な連想を荷わせることで、文章を美しくすることを好んできました。たとえば「露」という単語は、王朝時代以来、何度も繰り返して、物語や歌や俳句のなかで「はかないもの」の象徴として使われて来ました。だから、文章のなかで露という単語が出てくると、読者は直ちに「露のいのち」というような言葉を、反射的に思い出して、そこにはかない心象を、感じることになります。  そうした連想の遊戯による文章の極端な例は、江戸時代に発達した「俳文」というジャンルで、今日ではそうした文章は、原文に数倍の分量の註釈を参考にしないと、意味が読みとれません。 文章読について 「失言小町」より: 森鴎外や夏目漱石や二葉亭四迷など、名前くらいしか聞いたことないような文豪たちが(笑)、どう日語を

  • Zopeジャンキー日記 :規格外の東大名誉教授、西村肇

    Rauru Blogの「確かに、まず日語ではあるが」に引用されていた、以下の言葉にピンとくるものがあった。 <したがって結論として言えば、私は単純に日語をロジカルにしようとする努力には疑問を感ずる。日語の目的はロジカルな対話とか議論による決着にあるのではなくもっと別のところにあるのだろう。それは比較的均質な人間集団がまとまって行動するために「雰囲気」を作るコトバとして発達したのであろう。上下関係と対面を気にし、しかも嫉妬心が強い社会の中で上下に自己実現をはかるためには欠かせない表現手段だと思う。それはそれで非常に大事なことではないか。ロジカルな表現で議論する必要があるなら、それに適したコトバでやるほうがよい。英語でやるほうがよい。日人同士でも。これからは、それができる教育が必要だと思う。そしてその影響が自然に日語にもおよんで来るというのが、実際的な解決だと思う>。 私も、日語は

  • ウィンウィン対談 池上 彰さん 「ニュースの本質を一生懸命つかもうとする」

    lapis25
    lapis25 2005/11/16
    「接続詞を一切使わないコメント」抜いても論理的であれば伝わる
  • 1