2018年2月2日のブックマーク (4件)

  • いよいよ「出生数ゼロ」自治体が各地に、遅きに失した少子化対策の末路

    2017年1年間に国内で生まれた日人の赤ちゃんが推計94万1,000人で、2年続けて100万人の大台を下回ったことが、厚生労働省の調べで分かった。しかも、団塊ジュニア世代の女性が出産適齢期を過ぎ、20~30代の女性が減っているため、出生数の減少に拍車がかかっている。安倍晋三首相は少子化を国難と位置付けたが、過疎地域では1年以上にわたって1人の赤ちゃんも生まれない地方自治体が出るなど、加速する少子化が地方消滅の引き金になりつつある。中央大文学部の山田昌弘教授(家族社会学)は「30年も前から指摘されていた少子化問題に抜的な対策を講じなかったツケが表れた」と指摘する。

    いよいよ「出生数ゼロ」自治体が各地に、遅きに失した少子化対策の末路
    laranjeiras
    laranjeiras 2018/02/02
    末端が玉砕しても、東京に空襲が来ないかぎり大本営は動かない。
  • 「雪かきは、戦いだ。」雪国地方民からの、雪かき道具について真剣に考えてみた、という支援ツイートが北国から飛んできた

    キリュ三氵エ糸泉㌠(せきはん) @kagikun_17 @iiizzzwww 雪国では放水は以ての外ですが、東京の雪の場合夜間に微妙に積もって朝は止んでいてその後晴れたりするので、そういうときだけは放水も有効らしいですぜ…条件多すぎますが() 2018-02-01 08:17:36

    「雪かきは、戦いだ。」雪国地方民からの、雪かき道具について真剣に考えてみた、という支援ツイートが北国から飛んできた
    laranjeiras
    laranjeiras 2018/02/02
    プラスチックのスコップとラッセルタイプが同類に分類されているのに違和感。すくう系と押す系は、ソード系武器とハンマー系武器ぐらいちがっていて、敵によって使い分けている。
  • プロにちゃんと仕事をして貰いたいなら守って欲しいこと - ゆとりずむ

    先日、ぶらっとTwitterを眺めていたらこんなつぶやきを見つけました。 システムで絶対にバグを出すな。一件でもバグ出したら料金は払わないみたいなのは、学校のテストで絶対に100点を取らせろ。100点じゃなかったら授業料は返還してもらうと言っているのと同じようなもので無茶苦茶な主張だからやめてほしい。 — 米村歩@日一残業の少ないIT企業社長 (@yonemura2006) 2018年1月26日 うん、まあ言いたいことは分かる。なんでも、100%を目指そうとすると、非常にコストが係るので、多少は目をつぶってぇなと言いたくなるのはまれによくある。でも、お仕事としてやっている以上、お客様が100点を要求するのは当然だし、コストの制約があろうとも100点は目指すべきなんだろうと思う。 でもさ、『それで100点を要求するのは無理じゃね?』ってことが、この業界は余りにも多い気がするんだよね。 仕事

    プロにちゃんと仕事をして貰いたいなら守って欲しいこと - ゆとりずむ
    laranjeiras
    laranjeiras 2018/02/02
    これはレベル高いところのケースだな。うちらだと「どんな問題出したいんですか?生徒の何を調べたいんですか?そもそもなぜ調べるんですか?」あたりから始まる。
  • なぜ私は私なのか - Wikipedia

    「なぜ私は私なのか」(なぜわたしはわたしなのか、英:Why am I me ?)は哲学の一分野である形而上学、または心の哲学の領域で議論される問題のひとつ。この問題は様々な形で定式化されるが、最も一般的には次のような形で表される問題である。 世界中に今現在、沢山の人がいる、また今までに数多くの人が生まれてきて、これからも多数の人が生まれてきて死んでいくだろう。しかしそれにも拘らず「なぜ私は他の誰かではなく、この人物なのか?」(Why am I me, rather than someone else?) この問いには色々な名称がある。たとえば「私の問題(わたくしのもんだい)」、これは日の哲学者永井均が使用する山括弧付きの〈私〉という表記法を使って「〈私〉の問題(やまかっこわたくしやまかっことじの-)」と表記されることもある。またオーストラリアの哲学者デイヴィッド・チャーマーズが提出した「

    なぜ私は私なのか - Wikipedia
    laranjeiras
    laranjeiras 2018/02/02
    「命」や「私」を考えるときは、「切った枝を地面にさして再生した木」のような極論から入るようにしてる。それによると「命や私の最小単位は細胞で、私が感じている命や私はその結合体」としないと説明できない