株式会社 日経BP 〒105-8308 東京都港区虎ノ門4丁目3番12号 →GoogleMapでみる <最寄り駅> 東京メトロ日比谷線「神谷町駅」4b出口より徒歩5分 東京メトロ南北線 「六本木一丁目駅」泉ガーデン出口より徒歩7分
宮沢先生の思い出〜前代未聞、倒閣した細川首相に引き継ぎ (田中 秀征=福山大学教授) 宮沢喜一元首相が亡くなった。“不肖の弟子”として、思い出を書いてみたい。 亡くなった日、細川護熙元首相から電話が来て思い出話をした。細川さんは、宮沢内閣にとって代わった存在だが、宮沢先生をことのほか尊敬している。今度も、「経済、外交、安全保障などすべての点で私と考え方が同じ」と言っていた。 「いちばん印象に残っているのは、やはり、細川内閣発足直後の宮沢・細川会談」だという。 私もこのときのことを鮮明に覚えている。 首相に引き継ぎはない、だが、クリントン大統領との会談内容をすべて語った 細川内閣の発足は、1993年8月9日。軽井沢での2人の会談は8月17日。内閣ができて10日足らずの日であった。 私はこの会談に仲介役のような形で同席した。そして、あらためて宮沢先生のすごさを認識させられた。
先日、テレビ番組のコメントをするために織田信長、豊臣秀吉、徳川家康の経済政策に関する文献をいくつか読んだが、実に興味深かった。驚いたのは、信長が活躍した戦国時代と今の世の中がうり二つということだ。 信長の掲げる旗には永楽銭が描かれているが、これは貨幣こそが信長の経済政策のカギであったことを象徴している。学問的には諸説あるようだが、日本にマネー経済を定着させたのは信長だとされている。 信長は、それまで不安定だった貨幣の重さや成分を安定させることにより、通貨の価値を高めることに成功した。つまり、貨幣にきちんとした取引の仲介機能を持たせたわけである。そのことで、日本が初めて貨幣経済に移行することが可能になった。 そして、信長は貨幣経済を活用した。よくも悪くも、信長はマネーの力でのし上がっていった人物なのである。 そうして見ていくと、この時代の経済政策は、不思議なほどここ10数年間の我が国
ボルボ、飲んでいるとエンジンがかからない飲酒運転防止システムを開発 ボルボ・カーズ・ジャパンは2006年9月15日、スウェーデンのボルボ・カーズが、車に備え付けの酒気検知器で飲酒運転を防止できるシステムを開発したと発表した。運転手の息から酒気を検出すると、エンジンを始動できなくなる仕組み。 「マルチ・ロック・システム」 運転する前に息を吹き込んでアルコール濃度を測定する シートベルトに酒気検知器が備え付けてあり、運転する前に、これに息を吹き込んでアルコール濃度を測定する。検知器の値がマイナスを示し、かつシートベルトが締まってないとエンジンが始動せず、酔っていては運転できないようにする。 また、自動車が所定の速度以上を出せないようにする特殊なイグニションキーも開発した。同社はこれらを組み合わせて「マルチ・ロック・システム」と名付けている。同システムを搭載した実験車両を製造、評価を進
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く