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2016年12月6日のブックマーク (2件)

  • 行ったこともない国タイ。日本で生まれ育った16歳少年はそこに「帰れ」と言われた。

    最高裁に上告するかどうかは、まだ結論が出ていないという。 ウティナン君は中学に入学し、勉強、バスケ、演劇と、順調な学校生活を送っていた。しかし2014年、入国管理局(入管)から「お母さんとタイに帰りなさい」と、強制退去を言い渡された。 その強制退去の撤回と、在留許可を求めて争った裁判だった。 母親は悪質なブローカーに騙されたウティナン君の母親は、悪質なタイ人ブローカーに飲店の仕事があると言われて来日した。しかし、実際には話が違った。日各地で約束と違う仕事をさせられ、不法滞在となった。 ウティナン君が生まれたのは2000年。父親は、母親と一緒に暮らしていたタイ人男性だった。父と母は、ウティナン君が物心つく前に別れた。 母親は不法滞在の発覚を恐れ、各地を転々とした。隠すようにして育てられたウティナン君は、小学校に通えなかった。 「学校に行きたい」とウティナン君は勉強を始めた勉強を始めたのは

    行ったこともない国タイ。日本で生まれ育った16歳少年はそこに「帰れ」と言われた。
  • 私は妻を殺していない | ハフポスト

    今年の9月6日、私は第一子を授かり、翌日、を亡くした。死因は、帝王切開後の大量出血。子宮出血から、血液が固まりにくくなる「播種性血管内凝固症候群(DIC)」が引き起こされ、体のあらゆる部分から出血が止まらない状態になった。33歳だった。 私たちは中東ヨルダンで暮らし、韓国のスージンは国連職員で、私は主夫だった。仕事なんてなくても、スージンと一緒にさえいることができれば幸せな人生だった。そんな日々に突然、終止符が打たれ、当分、これについて文字化することはないだろうと思っていた。孤独とか悲哀とか、どんな言葉を用いても、今の自分の精神状態を的確に伝えられる自信がない。それでも、80日以上が経ち、どうしても伝えなければいけないことができ、ブログ再開に踏み切ることにした。 死後翌日、病院から2ページの報告書を受け取った。執筆者は、スージンの執刀医であり、院長でもあるK医師。そこには、「(9月7

    私は妻を殺していない | ハフポスト