![平面住人 on Twitter: "結婚してから何度も妻から「女子高生が好きだから教員なったんでしょ」って言われ続けて耐えてきたけど、新年迎えてからも言われてなんだか一気に冷めました。あっちは冗談かもしれないけど、教員として働いてる自分には1番の侮辱でしかない。"](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/23bc2debf706c1baac2a2d419bdf9e69ada177ed/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fpbs.twimg.com%2Fprofile_images%2F1478050206336024580%2FJciyLBFm.jpg)
萌え絵の公共広告を問題にする時、判で押したように「単に不快なだけだろ」という反論がくるけど、「不快」も広告の撤回を求める立派な理由じゃないの? 「どんなに不快であっても我慢すべきで、批判の理由にはならない」と考えているとしたら、それは言論の自由の否定だよね?「家の玄関の前にどんな不快に感じるポスターがあっても気にしない」とか言っているやつは「嘘つけよ」としかいいようがない。 というか、萌え絵によるエロ広告はtogetterなどでしょっちゅう見せられて、不快かつうざいことこの上ないんだけど、「萌え絵にエロの文脈を読み込むお前がエロ」とか、露骨な嘘がひどすぎる。 (追記) 「不快」という批判への批判は当然あってしかるべきだけど、そこで行うべきは、「自分にとって萌え絵がどれほど魅力的なものか」「萌え絵が好きな自分を否定されて傷ついた」という「お気持ち」を正直に示していくことであって、「表現の自由
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