「道徳」的に公共に適う表現以外全て禁止すべき、みたいなガンギまり保守親父ですらなかなか言わん主張と実質的になんも変わらんものがフェミニストを通して出てくんの、もう笑い事で済ませておけないアレかもしれない。
「道徳」的に公共に適う表現以外全て禁止すべき、みたいなガンギまり保守親父ですらなかなか言わん主張と実質的になんも変わらんものがフェミニストを通して出てくんの、もう笑い事で済ませておけないアレかもしれない。
テロ・紛争解決の専門家であり実務家でもある永井陽右さんが「共感」の問題点を考察する連載です。最終回となる今回のテーマは、我々はいま「共感」とどう向き合えば良いのか。永井さんは四つのポイントを挙げて論じます。 ◇◆◇ 光陰矢のごとし―――前回から実に16カ月が経ってしまった。ここまで最終回が遅れてしまったことはなんとも情けないのだが、この期間、もちろん色々と実践を続けてきた。 紛争地でのテロリスト相手の仕事はソマリアに加えイエメンでも開始し、それと並行して若者の権利に関する国際条約の制定に向けた動きも始めた。また、共感の問題も考察を重ね、単著『共感という病』(かんき出版)がこの7月に発売された。振り返れば、この16カ月は思考と実践を積み上げてきた非常に濃厚な期間だったと言える。 本連載では、最初に共感が持つ負の側面について指摘をしていき、その後様々な識者との対話を通じて、共感にのみ込まれる現
【2022.6.9追記】 ↓で書いた「恋愛/結婚/セックス市場において男性は金が女性は性が"交換財"である」という概念を「搾取モテ」と名付けることにしました。男性におけるATMや女性におけるセックス依存症のような状態に対して使用するといい感じです。権利は一切主張しませんのでご自由にお使いくださいw 穴モテ女性は非モテなのか問題 Twitter男女論界隈で、とあるトピックが論争になっている。「穴モテ女性は非モテなのか問題」がそれだ。 非モテ男性の多くはそもそもセックスに辿り着けない事に悩むが、対する非モテ女性はセックスはできても心が満たされない事や本命の彼氏と付き合えない事(穴モテ)に悩み、その心が満たされない苦しみを「私は非モテである」と認知する。この違いはなんなのかというのがこの議論の概要である。 先日元イさん(@BeVi56174065)主催で開催された「非モテ女性の話を聞くスペース」
林業関係の端くれ増田です。 露宇戦争の影響でウッドショック問題が再発してますね。 ”日本は山林資源がたくさんあるからそれを使えよ!”という声を耳にしますが、 一朝一夕には使えないんです。 前提前提として、民有林(=林野庁が直轄する国有林以外の山林)は財産です。財産であるがゆえに、固定資産税が発生します。 戦後、スギやヒノキが高値で売れていた時代は、固定資産税を気にせず林業家と呼ばれる資産家が自分の山を手弁当で管理していました。 しかし、木材価格の低下による林業家の衰退、遺産相続による土地の分割などで山林や小分けされた結果、林業経営としては成り立たないような土地(1ha程度)の山林しか残りませんでした。 残された土地でも管理義務や税金は発生します。そうした義務や税金を軽減するために、日本では”保安林”という制度があります。 簡単に言うと、”固定資産税は免除するよ!管理にも補助金(=税金)を投
ニューヨークの国連本部で開催されたアンステレオタイプアライアンスグローバルメンバーサミット(2019年) 写真提供:UN Women(国連女性機関)日本事務所 サステナブルな人 スペシャルインタビュー アンステレオタイプとは? UN Women日本事務所の所長石川雅恵さんにリモート取材しました ~「女性だから」「男性だから」にとらわれない新しいジェンダー観を手に入れる~ 2020.09.30 メディアや広告のチカラを生かし、ジェンダーにおける有害な固定観念の撤廃を目指す「アンスレテオタイプアライアンス」の日本支部が2020年5月15日に設立されました。イニシアチブをとるのは国連女性機関UN Women(ユーエヌ・ウィメン)。日本事務所の所長を務める石川雅恵さんに、アライアンスの意義やこれからのジェンダー平等との向き合い方についてお話を伺いました。 石川雅恵 さん UN Women日本事務所
私が最初に「ポリティカルコレクトネス」という言葉を知ったのは、たしか「ベイマックス」が上映していた頃だったと思う。 この映画はポリティカルコレクトネスに沿った描写がこんなにあって、多様性が尊重されており素晴らしい!と作品を褒める文脈で使われていた。 その時は、とても良い概念だなあ、と思ったのだ。「作者が自作に対して自発的に用いるガイドライン」だと思っていたから。 たとえば、今まで手癖でなんとなく描いていた描写や設定について、一旦立ち止まって、こうすればより多様性のある表現になるのでは?と考えてみる。 考えてみて、元の描写の方がいいな、と作者が思えば、それはそれでいい。その理由が「なんとなくこっちの方が好き、収まりがいい」程度であっても。 そういう風に使われて、外野としてはポリコレに沿った描写があればプラス評価する、そういうものだと思っていたし、そうであって欲しかった。 だって、世の中にある
職場だったら、女子社員が特定の弱者男性を嫌って、むやみに遠ざけようとしたり、口をきかないのがハラスメントになる。 あるいは女子社員が同僚のイケメンと手をつないだり、じゃれ合って、それを周囲に見せつけたら、「環境型セクハラ」だろう。 しかし、プライベートの過ごし方にそのような規則はない。 女性はイケメンの彼氏と仲良くすればいいし、キモメンとのお付き合いは断ってよい。嫌いなやつを無視することだって自由だ。 無論、カップルで手をつないで街を歩くと、非モテ男性たちに不快感・屈辱感を与えるかもしれない。だが、それは人権問題ではない。 ーー私はずっとそう考えてきた。ところが、近年には萌え絵とか、漫画とか、広告表現のゾーニングが問題になっている。 フェミニストいわく、「女性への配慮が足りない」とか、「性犯罪・セクハラを助長している」とのこと。 それならば、カップルが街中で手をつなぐ行為も、(一部の)弱者
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