ブックマーク / juangotoh.hatenablog.com (3)

  • 「リベラル」という語が差別語に近づいている - 仮想と現実

    かつてリベラルといえば、理想主義的だがマルクス主義のようなギチギチの理論に縛られず、現実的な政治思想を指していたはず。なので知識人がリベラルであると表明するのはむしろ当然だった。しかしいま「リベラル」という言葉は、「反日左翼」「与党の方針に常に反対しかしないものを考えない連中」みたいなイメージで語られることが多く、リベラルであると自称する事自体ためらわれる時代になっていると感じる。 「リベラル」がそもそも「リベラリズム」=「自由主義」なのだが、これは来啓蒙思想から起こった考えで、権力が人民を支配する原理は神によるのではなく、社会契約に基づくということ、そこから平等思想が生まれ、人間の自由がうたわれた。この自由はすなわち権力からの自由であり、権力が個人の自由を侵すことを忌避する。個人の自由を最大限に尊重することから、この考えは国家を小さくして、極力民間の自由に任せる方向に向かう。このへんは

    「リベラル」という語が差別語に近づいている - 仮想と現実
    lcwin
    lcwin 2017/10/16
    ベースは社会自由主義なんだとは思いますが、一部の声の大きい人の発言とそういう人への攻撃が目立つのがネットというやつですからして。
  • ニセ科学叩きがリンチになってないだろうか - 仮想と現実

    かつて「と学会」が「トンデモの世界」を出して「トンデモ」という用語がある程度普及した。「トンデモ」とは、「著者の意図とは異なる視点で楽しめる」と定義されていたのだが、論理的には矛盾するオカルトや、どうみても正しくなりようがないニセ科学を大まじめに主張するなどが取り上げられ、「まじめにおかしなことを主張する」人々を嘲笑するような雰囲気があったのは否定出来ないんではないかと思う。ただ、基的に出版物に対する評論であり、「活字によるを出すほどの人であれば全否定を含む辛辣な批評も受け止める度量はあるはず」という前提があったのではないかと思う。 また、大学や研究機関で研究したりレポート書いてるような人間なら、自分の説の何処かの段階でミスがあり、結論が台無しになるような指摘があった場合、すっきりはしないだろうがそれを認めて自説を撤回するのもやむを得ないと感じる経験があるかもしれない。 しかし

    ニセ科学叩きがリンチになってないだろうか - 仮想と現実
    lcwin
    lcwin 2014/11/08
    そりゃニセ科学は批判されるべきもんなんだけど、信念と正義で攻撃的態度を正当化するのはねえ
  • ブサヨ、中韓のポチと呼ばれて… - 仮想と現実

    最近のネット上の言説を見るに、「左翼」というものは「反日」であるらしい。また、「左翼」とういうものは「自衛隊は人殺し」という認識で、左翼教師は自衛隊員の子供をクラス全員の前で「○○さんのお父さんは人殺しです」などと言うらしい。どうもピンと来ない話である。 僕は昭和39年の生まれで、いわゆる「戦後民主主義教育」を受けた世代である。小学校時代の担任にはかなりバリバリ左翼の先生などもいたのだが、親の職業で差別するようなことはなかった。運が良かったのかね。 とはいえ、僕自身はその戦後民主主義教育を基的に受け入れていて、第二次世界大戦の日に関しては、中国への進出に正当性は感じないし、南京では捕虜、民間人の不当な殺害、暴行、強姦などが多発したいわゆる南京大虐殺と呼ばれる事件が、その正確な犠牲者数などはわからないがあったと思ってる。仏印進駐から日米開戦に至った過程は成り行きまかせに近く、いわゆる大東

    ブサヨ、中韓のポチと呼ばれて… - 仮想と現実
    lcwin
    lcwin 2014/08/20
    コメント欄がベタすぎるな。うちらにも欠点はあるし、あちらにも欠点がある。と書くと二元論相対論者扱いされるのかなあ。/左手で握手しながら右足ふんづけたりダンスを踊るのが外交という話を思い出す
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