およそ大半の物事や出来事にはその構造というものがあり、どこを見ているかというときにその構造自体を認識しようとしているかどうかということは、けっこう重要なことなのではないかと思う。 いや、重要なことなのではないか、というよりも、はっきりきっぱり言ってしまえば、わたしにとって重要なのではないかと思う。 なぜ重要なのか。どこか何かに騙されたくないから、と言ってしまうのは言い過ぎなのか。 わかっていること、わかると思っていることなんぞは、およそ全ての大半のことの中ではほんの一握りのことでしかないし、わかっていると思っていたことが、ある日ふと別の側面から見たときに(なんだちっともわかってないじゃん…)なんてのはよくあることなんではないかと思う。いや、そういうことは特に驚くほどのことではないかもしれない。だっていっぱいあるよね、そういうこと。 こう見える、こう思う。それは東側から見ていることでもしかし