推測はできる。でも、心中お察しできない。どのくらい苦痛なのかは当事者でなければ、やはりわからないだろう。 尋ねる方にしてみれば、単なるコミュニケーションのきっかけだったり、素朴な疑問だったり、ただただ間を埋めるためのものだったりする。実際のところほぼ意味はない。でも、尋ねられる方は違う。だんだんと答えるのが億劫になり、「何度同じことを言わせるんだ」という感覚を超え、徐々に反射的動作になっていく。反射的動作になっていく過程で、心の動きの何かしらの部分がマヒしていく。場合によっては、その受け答えから不愉快な事態に発展した経験があれば、答えること自体に忌避感を募らせていく。 職業として尋ねられる立場にいる場合、尋ねる人にとっては「最初(そして、ほとんどの場合は最後の)一回」であるということを認識し続けることがとても重要になってくる。役所や銀行などの窓口でひどい目にあったという一般人の良くある体験