なにより故人は人と人との距離感に敏感な方だったから、よけいにそう思うのだ。しかし編集部からの「小田嶋さんのツイートを拝見していてお親しいのかと思いましたので」という依頼文に、気むずかしさの中に、読み手にそう思わせる程度には好意を表現していただいていた故人への感謝を込めて書かせてもらうことにする。 初めて小田嶋さんにお目にかかったのは80年代の後半、当時私は『SFアドベンチャー』という徳間書店が出していたSF雑誌で読者投稿欄を持っており、その隣で小田嶋さんもコラムを連載されていた。その担当編集者が同じだったというご縁で顔を合わせることになったのだ。 『SFアドベンチャー』はSFプロパーの書き手が多い『SFマガジン』と違って中間小説誌を母体としていたので、小田嶋さんのようないわばアウトサイダーの起用も多かった。それゆえに彼のコラムは理性や相対価値観を持って任ずるSFファンに軽くケンカを売るよう
![コラムニスト・小田嶋隆が残した功績【追悼企画】──Vol.04:とり・みき](https://cdn-ak-scissors.b.st-hatena.com/image/square/b92c654f53531effdf0a78d35335894754429ea4/height=288;version=1;width=512/https%3A%2F%2Fmedia.gqjapan.jp%2Fphotos%2F62c6912d16b4226343577402%2F16%3A9%2Fw_1280%2Cc_limit%2FTORIODA.jpg)