トルコ水紀行 -前編 イスタンブール- みなさんこんばんは、地図子です!8月は久しぶりに毎月更新にしようと思います。今までずっと名古屋について書いてきましたが、ワープして・・・ トルコについて書きたいと思います。 2024年6月に念願のトルコに行ってきました。いつからトルコに行きたかったかわから…
博士(文学・専修大学)学位請求論文。 やおい小説研究にまがりなりにも入りかけた人間として、やおい小説研究はついに博士号が出るまでになったかという感慨をいだかざるをえない。しかも本書は、これまで多々出版されてきた読者と作者をめぐる社会学的分析、クラスタ的分析ではなく、テキスト分析の方法による論文である。これまでの作者・読者をめぐる社会的コンテクストに準じての議論の多くは、本当にやおい小説=テクストを読んだのか?という疑問を抱かせるものであったし、読んでいたとしても安直な思いつきじゃないか?と疑わせるような結論に失望せざるをえなかった。そして文学的な視角からはほとんど無視されてきたのがやおい小説であり、やおい小説をめぐる研究は、社会学の独壇場であったといえよう。本論文は浅薄な社会批評とは一線を画し、方法としてのテクスト批評にかなり自覚的である。当然、やおいマンガとやおい小説の差異についても考慮
「少女文化」論−少女マンガが描いた「少女」たち−(要約版) 2000年3月 中京女子大学人文学部アジア文化学科 提出 [目次] はじめに 1.少女という存在 2.少女マンガにおける「戦う少女」 3.少女マンガにおける「セックス」 4.考察 文献 はじめに 「少女」という言葉が、一つの階層を指すものとしてメディアに取りあげられることが多くなったのは1970年代からである。それ以来、少女の非行化、少女の援助交際、少女向けのかわいいグッズ、少女層に支えられたアイドルといった様々な「少女」に関する事件や情報が我々に報道され続けられている。こういった繰り返しによって作られた「少女」というイメージは、次第に我々の固定概念となり、「少女」に関する事件は飽きることなく報道され続けた。そうした情報や少女を対象とする様々な商品は「少女文化」と呼ばれ、独自の文化を形成してきているように見える。 では、こうし
7月31日 ゾンド作戦。 「強姦されてハッピーエンド」における受を、犠牲者としてのアイデンティティまで剥奪された存在とみなす説が、いよいよ素晴らしく思えてきた。 この認識を広めることで、「強姦されてハッピーエンド」を愛するボーイズラブ読者に、犠牲者としての自覚を押し付けるのだ。うまくいけば、「強姦されてハッピーエンド」は粉砕される。 またこの説が、見月界夢氏による泣きゲー理解(先月22日の日記参照)と対照的であることは見逃せない。泣きゲーマーが傍目には針小棒大に「かわいそう」と泣くのに対し、「強姦されてハッピーエンド」を愛するボーイズラブ読者は強姦を些事のごとく扱ってハッピーエンドに喜ぶ。 (もちろん、こんな風に強姦を些事のごとく扱えるのは、日本の若年女性の安全保障が良好な状態にあるためだ。強姦の脅威が身近に感じられる環境では、それを些事とみなすのは不可能だ) よし、だんだん調子が出てきた
渡辺 めぐみ 5.少女マンガにおける同性愛 少女マンガで同性愛というとたいていが男性同士を指しており、特に断りがなければ男性同士だと考えてもらいたい。 5-1.「June」と「ヤオイ」 1987年にサン出版(現在では株式会社マガジン・マガジン)から創刊された雑誌に「June(ジュネ)」(注釈18)がある。「若い女の子向けのホモエロティック」をテーマとした雑誌である。24年組の作品の影響や同人誌の女性の描く作品が「美少年もの」にむかい出したこと、クィーンなどジェンダーのあいまいさをうりにしたロックスターが人気を博していた世相を受けての刊行であった。同様の商業誌に「ALLAN」があるが、現在は休刊しており、また、「June」も一度、休刊の憂き目にあったことがあった。雑誌「June」に掲載されているような作品群(マンガもあったが、小説が主体であった)を指して「ジュネ」と呼んだ。現在では、「Jun
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