eoblogは 2017年3月31日(金)15:00 をもってサービスを終了いたしました。 長年にわたりご愛顧いただき誠にありがとうございました。
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藤原正彦『国家の品格』 昨年(2006年)、ベストセラーになったこの新書を今頃読んでいるのは相当恥ずかしいです。恥ずかしい思いをして通勤電車などで読みました。新書カバーとかかけて、ですね。 内容を大ざっぱにまとめると、次のようなものになります。 「論理」を中心にした近代的合理精神には限界がある。新自由主義も共産主義も民主主義も自由も平等もそれらが生み出したもので、今日の世界のいたるところで破たんを生じている。 その原因は「論理」を軸にしているから。論理はある条件下では問題を正しく導くが、それを忘れて万能薬のように扱うと大間違いに至る。 大事なのは「論理」ではなく、「情」や「形」であり、それを大事にしている文化はまさに日本文化である。これらの情緒を育む形が武士道精神だ。いまの日本はこれが廃れてしまった。 日本はこれらの文化を大事にし「品格ある国家」を再建し、世界の危機を救う聖なる使命を果たす
7月31日 ゾンド作戦。 「強姦されてハッピーエンド」における受を、犠牲者としてのアイデンティティまで剥奪された存在とみなす説が、いよいよ素晴らしく思えてきた。 この認識を広めることで、「強姦されてハッピーエンド」を愛するボーイズラブ読者に、犠牲者としての自覚を押し付けるのだ。うまくいけば、「強姦されてハッピーエンド」は粉砕される。 またこの説が、見月界夢氏による泣きゲー理解(先月22日の日記参照)と対照的であることは見逃せない。泣きゲーマーが傍目には針小棒大に「かわいそう」と泣くのに対し、「強姦されてハッピーエンド」を愛するボーイズラブ読者は強姦を些事のごとく扱ってハッピーエンドに喜ぶ。 (もちろん、こんな風に強姦を些事のごとく扱えるのは、日本の若年女性の安全保障が良好な状態にあるためだ。強姦の脅威が身近に感じられる環境では、それを些事とみなすのは不可能だ) よし、だんだん調子が出てきた
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