「栄光の明治、破滅の昭和」─司馬もまた戦後を生きた「時代の申し子」だった 『坂の上の雲』と東京裁判史観との奇妙な符合 (SAPIO 2009年11月11日号掲載) 2009年11月26日(木)配信 6ページ中 1ページ目 前のページ | 1 | 2 | 3 | 4 | 5 | 6 | 次のページ 文=福井雄三(大阪青山短大准教授) 「司馬史観」なる言葉がある。司馬が国民的作家になるにつれ、歴史に対する司馬の基本的な見方が周囲によってそう名付けられた。「司馬史観」を初めて本格的に批判し、それに関する著書もある大阪青山短大准教授の福井雄三氏は次のように問題提起する。 司馬遼太郎の作品に果たして「史観」などというものがあるのかどうか。「司馬史観」ともっともらしく言われるが、歴史の専門家の立場から言えば、実際は単なるテレビドラマや時代劇映画と同レベルに属するものである。だが『坂の上の雲』は、明