きれいになった選手寮。初めは駐車場も砂利で、外見も中身も廃虚同然だったという 【写真:ヴァンフォーレ甲府】 それはまさに「甲府の暗黒時代」だった。1999年、ヴァンフォーレ甲府は10クラブで発足したJ2に参戦したものの、5勝4分け27敗の最下位に終わった。翌年になると悲惨さはさらに増し、憂色を帯びた。現在も残るJリーグ記録である19連敗を喫し、5勝3分け32敗で、もちろん最下位(11位)。この2年間で入場者が1000人に満たない試合が8つを数えた。 当然、経営は思わしくなく、2000年度末に1億1280万円の債務超過に陥っていた。2001年2月、その危機的状況下で海野一幸がクラブの社長に就いた。 「まあ、とにかく、ひどいものでしたよ」と海野は振り返る。株式会社であるにもかかわらず、まともな帳簿がなかった。確定申告しようにも書類がそろわず、青色申告もできていなかった。 外部から2人の人物がク