ハードウェア、ソフトウェア共に飛躍的な進歩を遂げた1970年代、コンピュータは巨大な計算機から身近な道具へと変化し始めた。特に最初の5年ほどの間にコンピュータのあり方を大きく変える様々な技術が登場している。 政府系シンクタンクのランド(RAND:Research And Development)研究所でコンピュータの研究をしていたアラン・ケイは、28歳のときMIT(マサチューセッツ工科大学)でコンピュータを児童教育に活用する研究をしていたシーモア・パパート教授を訪ねた。そこでケイは、子供たちがLOGOというプログラミング言語(後述)でコンピュータを扱っている光景を目にする。ここから、彼の“個人の使う本のようなコンピュータ――Dynabook構想”が生まれた※5。 その後PARCに移ったケイは、他の研究者たちと共にマウスとビットマップ・ディスプレイを装備したコンピュータ、Altoを開発す