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批判するだけでは未来は見えてこない。代替案を提示し、討論と実践を通して未来社会のあるべき姿を探りたい。 一つ前の記事「蚕と日本語学習と松平忠固」のコメント欄で、renqingさんから以下のようなコメントをいただいた。 renqing 手許の「数字でみる日本の百年」改訂第6版(日本国勢図会)のp.333に、「戦前の主要輸出品」の表があります。生糸が、1900年(M33)第1位なのは当然として、1920年、1930年、1940年(S15)まで、輸出額第1位です。つまり戦前経済を一貫して外貨的に支え、輸出競争力があったのは生糸だった、ということになります。この点、松平忠固は、渋沢栄一に匹敵する日本資本主義の功労者です。現代日本人は、現代日本経済の途轍もない工業競争力を当然とみていて、そのイメージを戦前日本経済に投影して、既に戦前から欧米に伍する近代産業経済があったように錯覚していますが、第2次産
新型コロナウイルス感染症(以下COVID-19と略記)は現在なお全世界で猖獗を極めており、一部の国や地域を除いてなお収束する様子を見せていない。残念なことに、本邦でも。その一日も早い終息を祈るのは言うまでもないことだが、本稿ではCOVID-19をめぐるひとつの奇妙な争点について現在思うことを書いておこうと思う。 PCRについてである。 現在、新型コロナウイルスを検出する有力な手段として全世界で行われている手法だが、なぜか本邦では「過剰なPCRをすべきではない」という論が根強く語られている。各国事情を網羅しているわけでもないが、このような論調がドミナントである国は、少なくともいわゆる先進国の中では珍しいのではないかと思う。しかも奇妙なことに、まだ国内的にはCOVID-19の流行が顕著でもなかった2月上旬ごろにはすでにこのような論が語られはじめ、今に至るまでその傾向は続いている。 筆者個人とし
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