飛行機の窓から見る世界と、見られている側の世界 「モノを捨てよ世界へ出よう」 飛行機の窓から見る世界と、見られている側の世界 こういう時代なので、わたしのような一般庶民でもたまに飛行機に乗って海外旅行など行くことがある。 飛行機の小さな窓を覗くと、雲の切れ間に海や地上が見える。 まるで現実感のない風景。 眼下に広がる、グーグルマップではない本物の世界。 四角いディスプレイには収まりきらない広大な世界。 こういうときわたしはいつも、「宇宙から見た地球」のことを考える。 大気圏内から見た地上でさえ実感を感じられないわたしは、仮に宇宙から地球を見ることができたとして、やっぱり実感は感じられないのだろう。 海は青く、陸地は緑色だ。 海の色が違う部分は深さが違うのだろうか、などと思い巡らす。 この景色の中に、何千何万といるはずの人間は、ひとりも認識することができない。 あまりに遠くて、「ゴミのよう」
今手元にある3冊です。 「口の中の小鳥たち」 サマンタ シュウェブリン 「銀の匙」 中勘助 「エレンディラ」 ガブリエル・ガルシア=マルケス 「口の中の小鳥たち」 サマンタ シュウェブリン 口のなかの小鳥たち (はじめて出逢う世界のおはなし―アルゼンチン編) posted with ヨメレバ サマンタ シュウェブリン 東宣出版 2014-10-18 Amazon Kindle 楽天ブックス 「おまえは小鳥を食うのか、サラ」と私は言った。 「そうなの、パパ」 娘は恥ずかしそうに唇を嚙んで言った。 「パパもでしょ」 「おまえは生きた小鳥を食うのか、サラ」 「そうなの、パパ」 アルゼンチンの作家・サマンタ シュウェブリンによる15篇の短い物語。 衝撃的な表題作に、星新一のような作品、筒井康隆や中原昌也を思わせる作品もあり、多彩です。 なにか得体の知れないものや、上手く言葉にはできないけれどとても
最近、ていねいに字を書くようにしています。 古いノートを捨てる前に軽く読み返していたら、あることに気が付きました。 気分が良い時は、比較的きれいな字を書いているのです。 ここでいう「きれいな字」とは、流れるような達筆のことではなく、一字一字、というか、一画一画を、つなげずに丁寧に書いた字のことです。 字が乱れている箇所は、読み返そうにも読みづらいし、なんとか読んでみてもあまり良いことは書いてありません。 きれいに書いてある箇所は、読みやすいのはもちろん、内容も、うれしかったことや、前向きなことが多いのです。 字のきれいさと感情には相関があるのかもしれません。 今は、意識して一字一字をていねいに書くようにしています。 すると、心が落ち着いて、書く内容も明るくなっていきます。 「幸せじゃなくても、無理矢理にでも笑顔を作ると、だんだん幸せにな気分になってくる」というのに似ていますね。 幸せなとき
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