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  • ヤオイ・トラブル

    これまでのヤオイ論では、ヤオイというカテゴリーを通して理解される、 特定の女性(腐女子)の存在が前提されていた。そうした言説がヤオイの利害や目的を表象するのみならず、 ヤオイを代表するとされる主体をも構築していた。ヤオイを十全かつ適切に表象する言語をつくりだすことが、 ヤオイスキーたちにとっても必要と思われていたからである。 たしかに彼女たちの生き方が誤って(例:欲求不満とか)表象され、またはほとんど無視される文化的状況が一般的なのをみれば、 そうすることが重要だと考えられてきたのも、やむをえなかったろう。 しかし今や、ヤオイ批評は、ヤオイ主体を探求しようとするまさにその権力構造によって、いかに自らが生産され、 また制約されているかを理解しなければならない。たとえば、ヤオイの抑圧のまえに存在する「女」に何らかの共通項があるのか、 あるいは抑圧されているがゆえにヤオイはむすびつくのか。 つま

    lisagasu
    lisagasu 2008/12/28
    801はジェンダーとか異性愛規範とかそこに拘ることも含めたグダグダへのカウンターplayだってことかな?だから801の主体に腐女子を規定するとツボにはまるみたいな。なるほどなー
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