『逃げ上手の若君』もう一人の逃げ上手の若君・護良親王の半生とは? 『逃げ上手の若君』外伝:北条時行をめぐる人々とその時代 TVアニメ『逃げ上手の若君』第6話では、鎌倉幕府崩壊後の後処理に追われながらも新体制に対する思惑が渦巻く朝廷側の様子が描かれた。そこで登場したのが、後醍醐天皇の息子であり鎌倉幕府打倒の功労者の1人である護良(もりよし)親王だった。史実にも存在するこの「若君」もまた、北条時行に負けず劣らずの「逃げ上手」な半生を送っている。 ■朝廷側にも存在した「逃げ上手の若君」 鎌倉幕府の「逃げ上手の若君」が北条時行なら、宮方にも逃げ上手で建武政権の樹立に貢献した「若君」がいた。大塔宮護良親王である。 大塔宮は延慶元年(1308)、後醍醐天皇の皇子として誕生した。母親は民部卿三位。 幼くして仏門に入った宮は梨本門跡とも呼ばれた梶井門跡に入室した。当時の梶井門跡は法勝寺(京都市左京区・現在