【”型”を知る】本質追求と実戦経験の両輪で技術を高める集団が、今後は強くなっていく(2023/05/08)日本の世界観はどのようにして作られたのか④~大和言葉に見る日本人の一体化能力~(2023/05/01)“型を知る” 地域や外圧状況による『型』の違いとは?(2023/04/29)日本の世界観はどのようにして創られたのか③~縄文の「縄」に見る性的結合と生命循環の世界~(2023/04/24)【古代西アジアの文明史④】現代の新しい「世界観の共有」 : 集団や古い制度を超えて直接つながる関係が、むしろ、個人と「集団や社会」の距離を縮めプラス感覚を醸成している。(2023/04/23)日本の世界観はどのようにして創られたのか②~「発酵技術」は「森羅万象は循環し、全ては一体」という世界観から磨かれた?~(2023/04/17)日本の世界観はどのようにして創られたのか①~自然を対象に、追求して、一
第1話 南太平洋の神話から見た古代日本人の思想 この連載では、日本の神話や沖縄の民話の中で、南太平洋に連なる事例を取りあげながら、古代日本や南島に見られる海人的な思考の伝統を探ってみたい。私はここで“南太平洋"という言葉を、沖縄に連なる、台湾からフィリピン・インドネシア方面、さらにニューギニアからメラネシアやポリネシア、ミクロネシアの島々を指す意味で使いたい。台湾の先住民の言語はオーストロネシア(南島)語の系統であり、それは南太平洋に連綿と広がる一大語族の北端にあたるのだ。 日本語の文法は韓国語に近く、単語や文字は中国語の影響を受けている。しかし日本語の基本語彙には謎が多く、まったく系統の異なる、南島語の伝統を基層にもっていた可能性がある。国立民族学博物館の崎山理の行った縄文語の復元推定には、南島語がモデルとして使われた。さらに京都大学の片山一道は人骨の分析により、縄文人とポリネシア人が近
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名字ランキングデータ提供について 無料で日本最大150万人登録のデジタル家系図を作りたい方はこちら!! 2025.2.11 2025年ユーザーが選んだベスト・オブ・名字を発表!! 2025.2.1 今なら名字や系図の文献が大特価で手に入る!! 2025.2.1 戦国村を作ろう!のLINEスタンプ 好評販売中!! 2025.1.31 名字コラムに島根県で多い名字ランキング30を発表!! 2025.1.29 福のつく名字ランキングを発表!! 2025.1.15 【べらぼう】令和7年大河ドラマ出演者珍しいレア名字ランキングを発表!! 2025.1.8 巳年干支にまつわる名字ランキングを発表!! 2024.12.25 第75回(2024年)NHK紅白歌合戦出場歌手の珍しいレア名字ランキングを発表!! 2024.11.27 2024年 有名人年間トレンドランキングを発表!! 2024.11.6 20
2011年04月01日23:42 カテゴリ日本姓氏語源辞典 日本姓氏語源辞典 アコ~アサゴメ アコ 阿児 大阪府岸和田市。大阪府岸和田市中北町が本拠。三重県志摩市の阿児町は奈良時代に「網児」の表記で記録のある地名。地名はアゴ。 アコ 阿古 奈良県、大阪府、埼玉県。奈良県葛城市竹内の小字の阿古から発祥。同地付近に分布あり。 アコ 吾子 北海道、神奈川県。阿児姓あり。北海道稚内市潮見では福井県の出と伝える。推定では1900年頃の来住。 アコ 阿子 大阪府東大阪市。阿児姓あり。大阪府東大阪市中石切町に分布あり。 アゴ 阿吾 島根県松江市。島根県松江市末次町に分布あり。島根県出雲市斐川町阿宮の阿吾神社は奈良時代に記録あり。 アゴ 安護 沖縄県。沖縄県国頭郡本部町東に分布あり。沖縄県島尻郡座間味村に安護の浦あり。 アコイ 阿古井 奈良県天理市。地形。古い井戸から。「阿」は古語で呼び名の語頭につけて親
2011年04月01日15:09 カテゴリ日本姓氏語源辞典 日本姓氏語源辞典 サ~サイコン サ 左 ヒダリ 左参照。 サ 沙 スナ 沙参照。 サ 佐 タスク 佐参照。 サ 査 石川県金沢市・福井県吉田郡永平寺町。シナ系。石川県金沢市平和町に分布あり。シナ音はヂャー。※鹿児島県の奄美群島の一字姓。鹿児島県大島郡宇検村芦検で1879年に記録あり。 サ 莎 埼玉県さいたま市浦和区。シナ系。埼玉県さいたま市浦和区で2012年7月24日に帰化の記録あり。シナ音はシャー。 サ 鎖 千葉県長生郡長南町。シナ系。千葉県長生郡長南町で2009年1月26日に帰化の記録あり。シナ音はスオ。 サアイ 佐合 サゴウ 佐合参照。 サアカー 漢字表記なし 便宜上の表記。本来はサーカー。栃木県。国際結婚により称する。国籍は不詳。原綴はサーカー(Sarkar)。 サアゲート 漢字表記なし 便宜上の表記。本来はサーゲート。千
奄美各所には、1185年の壇ノ浦の戦い敗れて奄美に逃れてきたといわれる平家一族の伝承が残る。 平家の伝承 平資盛・平有盛・平行盛(※1)らはそれぞれ奄美大島の瀬戸内町諸鈍・奄美市名瀬・龍郷町戸口に築城し、地域を治めた。 資盛は島の人たちに踊りを伝えた。その踊りは国の重要無形文化財となっている「諸鈍シバヤ」として現在も残っている。資盛が祀られている神社は「大屯神社(おおちょんじんじゃ)」。 一方、有盛と行盛はある日「源氏が攻めてきた」というデマにより、もう逃れられないと観念して自害したとされる(源氏が島に上陸して、源氏により殺害されたとされる説もある)。このデマの発生源は蒲生崎(奄美市笠利町)と今井崎(龍郷町)に源氏の見張り場を設けていたが、その見張り番が一日見張りをしなかったことが原因だとされる。 また、行盛については農業や漁法、学問などを教え伝えたといわれる。 有盛は有盛神社に、行盛は行
○琉球古典音楽の歴史 まだパスポートを持って本土に渡航していた頃のことである。友人と二人、東北の旅で奥州平泉中尊寺を訪ねた時、金色堂を飾っている夜光貝が琉球産と知った時の驚き、(中尊寺の建立は1105年)それより先、久米や石垣の人々の来訪が大和朝廷の記録に残っていることは本の上では知っていたが、いま金色堂では物的証拠を突きつけられたのである。大和と沖縄、彼我の交流(貝の道)は古い歴史を持っているのである。 さて、12世紀~15世紀にかけては琉球史で「グスク時代」と呼んでいる。歌謡史では「おもろ(古代歌謡)の時代」とよばれる。 オモロについての奥里将建の研究を紹介する。それによると、「平安時代の催馬楽[サイバラ]、田歌[タウタ]、夜須礼歌[ヤスライウタ](田歌が地方田園の歌であるのに対して、夜須礼歌は京都紫野の今宮神社の祭礼の時に歌われた歌)といった民謡性の濃い歌詞の音数率とオモロの音数率と
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