ブックマーク / nakamorikzs.net (2)

  • ブログのコメント欄を無くすことは臆病者の選択肢ではなくなった - 空中の杜

    しばらく前から、うちのブログはコメントを承認制にしてあります。最初の頃は忙しくなってきたので、その間にスパムが入り込むとまずいからそうしていたのですが、やや余裕が出来てからも解除しないままにしてあります。それはちょっとコメント欄の存在意義が当によい方向に働いているのかという疑問が生じてきたので。今日はそんな感じでブログのコメント欄について考えたことを書いてゆきます。 昔は「ブログのコメント欄は原則あるべきもの」と思っていた コメントが第三者に及ぼす影響 ブログコメント欄の存在意義は変わってきているのではないか 昔は「ブログのコメント欄は原則あるべきもの」と思っていた そのサイトの管理人(書き手)が何か書いたものに読み手がコメントを残せる形のものは、ブログ以前からコメント欄や掲示板の設置などで存在していました。そしてブログが普及すると、そのシステムとしてトラックバックと共に自動的についてく

    ブログのコメント欄を無くすことは臆病者の選択肢ではなくなった - 空中の杜
    llill
    llill 2010/02/26
    そこはブログ主の自由だよね。ラジオパーソナリティ的な。だから公序良俗に反するハガキは読み上げちゃ駄目って責任もあると思ってる
  • ネット上の「鼠小僧」は誰に不利益をもたらすか - 空中の杜

    昔から時代劇では有名な鼠小僧。これは悪徳商人から金を盗み出し、それを貧乏な庶民に配るという「義賊」。まあ史実は他の数々の例と同じで、そんなものでもないみたいですが。 ■参考:鼠小僧 - Wikipedia それでも、時代劇などでは勧善懲悪の正義の味方のように描かれることが多いです。しかし、この「金持ちから盗んで貧乏人に分け与える」という行為を現実に即して考えた場合、美談とはならないような気がします。ちょっとそれを様々な立場で見てみましょう。ただ、完全に善人だらけの時代劇と違ってブラック度高いので要注意。 まず、盗んだ金を与えられた人。これはよく「ありがたや〜」となっていますが、実際には盗難という犯罪行為により利益を得たとして、それに巻き込まれるわけです。時代劇でも町の人が歓喜する中、善人が「これは奉行所に届け出ます」というのがありますが、あれも考えてみると、犯罪の幇助者として疑われるのを避

    ネット上の「鼠小僧」は誰に不利益をもたらすか - 空中の杜
    llill
    llill 2008/12/03
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