よく考えると、ときメモって自分のスペックを向上させることと、マメに連絡することによって、初めて女の子がなびくというギャルゲー的お約束(なんのとりえもない平凡で受身がちな主人公をなぜかヒロインが好きになってしまうというアレ)を排除したリアリズムの作品だったんだなあと今更ながらに思う。 ゲーム中でスペック向上に励むと、全国でもトップレベルのスペックが得られるわけで、そりゃどんな女の子だって落とし放題だよね。藤崎詩織だけはそれでも落ちないことがあるのが凶悪なんだけど。 商業的に最も成功したギャルゲーである「ときめきメモリアル」がこのような男性のスペックを厳しく問う作品だったということは、もう少し振り返って考えられても良いのではないだろうか。 参考 実は - インタラクティヴ読書ノート別館の別館