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ゲームと人生に関するlone-dogのブックマーク (3)

  • 翻訳記事:さらば諦めの日々 | スパ帝国

    これは翻訳記事です *Civ4リードデザイナー、ソレン・ジョンソンの手記。Firaxisを退社してからMaxis・EA・Zyngaを渡り歩き独立スタジオを設立するまでの経緯が書かれている。 私がゲーム業界に入ってから今年で13年になる。その間にCiv3とCiv4という2つのゲームを円満に成功させて来た。残念なのは、その2つのゲームが私のキャリアの最初の5年間だという事だ。その後の8年間に携わったプロジェクトは制作が上手く行かなかったり、完全にキャンセルされたりした。どうしてこんな「失われた十年」を職業人として経る事になったのだろうか? これに答えるには2005年10月から話を始めなくてはならない。Civilization 4が発売された時だ。このゲームは批評家から絶賛され(メタスコア94はFiraxis作品で最高)、商業的にも成功した。比較的低予算のプロジェクトで300万以上を売ったのだ

  • 彼からゲーム内でモラハラされていたと知った。

    【サブタイトル】たかがゲーム、されどゲームw 数年前の話です。 IT関連の企業に勤めていました。彼氏も同じ会社でした。 私は誰かのサポートをするのが好きで、会社でもそういった仕事を求めていました。 あんなサポートこんなサポートをしているうちに、構築をやっている彼と知り合いました。いいカップルだったと思います。 彼の趣味であるMMORPGを一緒にやるようになりました。私自身別のMMORPGは経験者でしたが、このゲームでは初心者です。彼はサーバーでもトップ5に入るプレイヤーで、初心者の私は彼からいろいろ教わりました。 彼と同じギルドというかリンクシェルというか血盟というかいわゆるそういうものに入りました(分かりにくくなるのでギルドということにさせてください)。彼とはレベルが離れていたので、最初期は一緒にも遊べませんでした。リアル彼女というのが知られると人間関係が面倒になりそうなので、私はネカマ

    彼からゲーム内でモラハラされていたと知った。
  • 『追悼・飯野賢治』

    ゲーム作家・ゲーム研究者遠藤雅伸のブログです。 ゲームに関する話題を、ビジネス、アカデミック両面からも取り上げます。 飯野賢治君の思い出を、一次情報として書き留めておく。 ◆ Dの卓 飯野君を知ったのは、やはりこの作品をプレイしたからなのだが、当時遠藤はこの作品を日人が作った物だとは思っておらず、エンディングのクレジットで日製だと知って、なかなかセンスのある作品だなぁと感心した。でも、そこに登場する飯野君の写真は、かなり日人離れしていたから「オオカミウオみたいな人」として認識していたのだね。 まぁ、ゲームの作り方にしても、クレジットロールの写真にしても、洋ゲーかぶれのええ恰好しぃ程度にしか記憶していなかったわけだけど。 ◆ 初対面 イベントのゲストとして同時にブッキングされていたのが最初で、多分ゲーム系のトークショーだったんじゃないかな。広い会場で事前に打ち合わせなどもなく、突然檀

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