今、広島にいるんですけど。 職場の人「広島陸軍被服廠に行ったほうがいいと思う。原爆が落ちたときのまま残っていて、何年か前に壊すって話になったけど反対運動が起こって。住宅街の中にあるんだけど」 私「ふーん?わかりました、行きます」… https://t.co/rEHTzqVna8
今、広島にいるんですけど。 職場の人「広島陸軍被服廠に行ったほうがいいと思う。原爆が落ちたときのまま残っていて、何年か前に壊すって話になったけど反対運動が起こって。住宅街の中にあるんだけど」 私「ふーん?わかりました、行きます」… https://t.co/rEHTzqVna8
戦時中の軍需工場で、人間魚雷「回天」も製造された佐賀県伊万里市山代町の「川南(かわなみ)造船所」跡の建物が撤去される見通しとなった。 同市が緑地公園として整備するためだが、住民の間には「悲惨な戦争を伝える遺産」として保存を求める声がある。最近は、廃虚スポットとしても人気の造船所跡。撤去の是非を巡って論議を呼びそうだ。 造船所の敷地面積は約3万3000平方メートルで、建物は鉄筋コンクリート2階建て。池田勇人首相暗殺などクーデターを企てたとされる「三無事件」(1961年)を首謀した実業家・川南豊作(1902〜68年)が戦時中に建設した。軍の監督下で学徒を動員して回天や特攻用の小型船などを製造していたという。 川南の会社が55年に倒産した後は放置され、造船所は廃虚となった。敷地内は荒れ放題で、ごみの不法投棄も絶えず、昨年3月には自殺者の白骨が見つかった。このため、地元の山代町開発促進協議会と同町
教会の隠し扉を開いたら、1900年前のローマ帝国時代の地下水路が眠っていた イタリア・ローマ近郊の町で廃墟となった教会の隠し扉を調べたところ、西暦109年に造られたと言う、ローマ帝国時代の地下水路の遺跡が見つかったそうです。 「ルパン三世・カリオストロの城」で湖底に古代ローマの遺跡が眠っていたというエピソードを彷彿とさせる話ですが、西暦109年と言うと第13代皇帝であるトラヤヌス帝の時代。 ローマ帝国最大の版図となった大帝国の時代でもありますが、皇帝の命によって湖からローマへの水源確保のため造られたものだそうです。 この1900年前のローマ水路の遺跡を発見したのはイギリスの映画制作者。ローマから少し離れたマンツィアーナという街の、廃虚となった教会の隠し扉から見つかりました。 水路の長さは約125m。ローマにつながる11の水源のうちの1つで、水はブレシアーノ湖から供給されていました。 西暦1
前の記事 頭部穿孔や鉄の肺:外科医学博物館の画像ギャラリー 「超コンクリート」:ピラミッドの石と、米軍の最新研究 2009年11月 6日 David Hambling クフ王のピラミッド(ギザの大ピラミッド)。画像はWikimedia セメント製造技術は、歴史のなかで途絶えたり再発見されたりしてきた。古代ローマ人は、粉々にした岩(caementitium)を生石灰と水に混ぜて、さまざまな建物に使える物質を作り出す方法を知っていた。ローマにあるパンテオンは、無筋コンクリートでできた世界最大のドームといわれており、2000年経った今も強度を保っている。[古代ローマで使われたコンクリートは、セメントおよび火山灰を主成分としており、現代コンクリートの倍以上の強度があったとされている] だが、中世にはこういった技術は失われ、粗末な代替品として石灰モルタル(洋漆喰)が使われていた。また、1950年代ま
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く