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2020年2月4日のブックマーク (5件)

  • 三大「メーカーが変わった商品」

    バスクリン津村順天堂(1988年に「ツムラ」に社名変更)から発売されていたが、医療用漢方製剤を中心とする事業へシフトするため2006年に分社化。2010年に「株式会社バスクリン」に商号変更。2012年にアース製薬の100%子会社となった。分社化以降はツムラとの人的および資関係は一切ない。六甲のおいしい水当初はハウス品から発売されていたが、2010年にアサヒ飲料が事業譲受。2012年には商品名が「おいしい水 六甲」となった。C1000タケダ1990年に武田薬品工業の品部門「武田品工業」がシリーズ第一弾を発売。翌1991年にはロングセラーとなった「ビタミンレモン」を発売。2006年にハウス品との合弁会社「ハウスウェルネスフーズ」が事業を引き継ぎ、翌2007年にはハウス品の100%子会社となった。現在のブランド名は「タケダ」の付かない単なる「C1000」である。

    三大「メーカーが変わった商品」
    lone-dog
    lone-dog 2020/02/04
    そこにはメートル法で設計されたドイツ車になったMiniの姿が!
  • 『傑作民俗学漫画10選』――平成後期から令和にかけて――

    平成後期から令和にかけての、「民俗学漫画」の傑作を紹介します、なのだ。「民俗学」とは何か? 「民俗学漫画」とは何か? 興味の湧いた方は、ぜひぜひ。無料で読める漫画も多くあるのだ。

    『傑作民俗学漫画10選』――平成後期から令和にかけて――
    lone-dog
    lone-dog 2020/02/04
    民俗学と民族学(文化人類学)が混ざってない? / 宗像教授がないのは平成後期以降にあたらないからと本人もコメントに書いてますね。
  • 北海道にしかいない「本物のシシャモ」を知っているか? 珍魚ハンターが“シシャモの聖地”に突撃してきた - Yorimichi AIRDO|旅のよりみちをお手伝い

    シシャモをべに北海道へ行ってきたんですわ。 そう聞くと不思議に思われる方が多いかもしれない。日全国、駅前の居酒屋チェーンに行けば「子持ちシシャモ」がべられるではないか、と。 Yorimichi AIRDO読者の皆さん、はじめまして。平坂寛と申します。 “珍生物ハンター”として、世界中の珍しい魚をつかまえ、べてきた私がなぜあえてシシャモに挑むのか。理由はほかでもない、「北海道に行かなきゃ味わえないシシャモ」がいるから。 ……じゃ、冒頭の言葉、ちょっと言い方を改めてみよう。 “物のシシャモ”をべてきたんですわ。シシャモの聖地「むかわ町」で。 何を『美味しんぼ』みたいなことを……と言うなかれ。 事実、「シシャモ」の名を冠して流通する魚には二つの魚種が含まれている。一つは正真正銘の「シシャモ」、もう一つは「カラフトシシャモ」と呼ばれる魚だ。 「子持ちシシャモ」の名で全国に流通している

    北海道にしかいない「本物のシシャモ」を知っているか? 珍魚ハンターが“シシャモの聖地”に突撃してきた - Yorimichi AIRDO|旅のよりみちをお手伝い
    lone-dog
    lone-dog 2020/02/04
    ししゃもとかしめじを食べて、違いのわかる存在にレベルアップしたい。
  • 戦時中 世界最速目指し秘密裏に開発 研究機「研三」の資料発見 | NHKニュース

    第二次世界大戦中、世界最速の飛行機を目指して秘密裏に開発が進められた、「研三」と呼ばれる研究機の映像記録や設計に関する資料が残されていることが分かりました。調査にあたった専門家は「残っていること自体が奇跡のようなもので、当時の開発の様子が分かる貴重な発見だ」と指摘しています。 開発は秘密裏に進められ、これまで関連する資料は確認されていませんでしたが、国立科学博物館に映像記録や設計に関する資料が残されていたことが分かりました。 岐阜県にある「岐阜かかみがはら航空宇宙博物館」などが調査を進めたところ、映像は国内最高速度を記録した時のものと判明し、「研三」が飛び立つところから着陸してパイロットが降りてくるまでの様子が5分半ほど記録されています。 また、設計に関する資料などがおよそ200点あり、膨大な計算や実験の記録が残されていたほか、さらに速度を出すためにジェットエンジンを搭載する計画があったこ

    戦時中 世界最速目指し秘密裏に開発 研究機「研三」の資料発見 | NHKニュース
    lone-dog
    lone-dog 2020/02/04
  • ワイヤを切った瞬間 建物全体が一気に崩壊

    解体中だったスタジアムの屋根が崩落し、作業員1人が死亡しました。 スタジアムの屋上で作業員が工事をしていた時のことです。屋根をつなぐワイヤを切断すると、建物全体が雪崩を打ったように崩れました。タス通信によりますと、ロシア第2の都市サンクトペテルブルクで起きたこの事故で、作業員1人が死亡しました。一緒に作業していた3人の男性らは無事でした。このスタジアムは、1979年、旧ソ連時代に建てられ、老朽化のために解体工事が行われていたということです。

    ワイヤを切った瞬間 建物全体が一気に崩壊
    lone-dog
    lone-dog 2020/02/04