フリードリッヒ・ハイエクが20世紀を代表する偉大な社会哲学者であることは言うまでもないだろう。ハイエクは自由主義の代表的な擁護者と見なされており、事実かれに対する批判の多くは「左」の論客によってなされてきた。しかし、数はそれほど多くないが、違った観点から、つまりハイエクの「自由主義」の不徹底さを問題にする議論も存在する。今回はそうした議論をいくつか紹介してみたい。 まずアスキュー・デイヴィッド「ハイエクの自由擁護論の限界―リバタリアンの言説を手がかりに」。当ブログですっかりおなじみとなったアスキューだが、これはぼくが学生時代初めて読んだかれの論文だ。一読してこのような視点があ越後和典るのかと非常に驚いたのを覚えている。アスキューは、ロナルド・ハモウィーによる『自由の条件I ハイエク全集 1-5 【新版】』の書評に言及し、ハイエクの「独占」と「徴兵制度」に対する見解から、かれの「強制」概念の