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リベラリズムに関するlotus3000のブックマーク (20)

  • 徴兵制をしけば戦争に慎重になるという法哲学者の謎 - 法華狼の日記

    東京大学の井上達夫教授が、憲法から9条を削除べきという持論を文藝春秋で改めて提言していた。 http://gekkan.bunshun.jp/articles/-/1387 最初は現状以上の米国従属を不必要と主張しながら、主体的な軍備の要求に一貫性を見いだしたり、ひとつの意見としては納得できるところがある。 最も鋭く指摘したのが清水幾太郎でした。彼は六〇年安保反対闘争で活躍しながら、後には日核武装論を発表するなどして、転向したと批判されました。しかし、その論理を突き詰めると、主体性なき日米安保を脱却して、日は自分で自分を守れ、と一貫している。 しかし護憲派へ批判の矛先を向けるようになってからは、首をかしげるところが多い。 改憲派よりも護憲派の欺瞞の方が根深い。 護憲派にも二つあって、ひとつは原理主義的護憲派。こちらは「陸海空軍その他の戦力は、これを保持しない。国の交戦権は、これを認めな

    徴兵制をしけば戦争に慎重になるという法哲学者の謎 - 法華狼の日記
  • 【追補しました】リベラリズム・コミュニタリアニズム・リバタリアニズムについてのtwitterまとめです - MIYADAI.com Blog

    MIYADAI.com Blog (Archive) > 【追補しました】リベラリズム・コミュニタリアニズム・リバタリアニズムについてのtwitterまとめです « 宮崎哲弥さんと『初期思考集成』イベントをやりますので、告知いたします | 米国におけるリベラリズムとリバタリアニズムのルーツ » たったいま一時間十分ほど、公文先生のご質問に対応したところから、リベラリズム・リバタリアニズム・コミュニタリアニズムの関係についてのQ&Aに関わっておりました。早速ですが、僕の発言だけまとめておきます(ホヤホヤですね)。 ──────────────────────── miyadai 6:44am, Apr 06 from HootSuite 米国政治思想は[共和主義=共同体的自己決定主義]と[自由主義=自己決定主義]の対立史だ。リバタリアニズムは前者だ。共同体が空洞化した昨今、共同体的自己決定主

  • http://kenuchka.paslog.jp/article/2622038.html

  • 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: いざ総選挙へ!

  • 戦闘教師「ケン」 激闘永田町編: 国体とは何か~国民統合の原理について・下

    (前回の続き) では、戦後改革で国体はどうなったのか? 国体の変革を主張するものを取り締まる治安維持法は、戦後もなお機能し、1945年9月に至っても共産党員に対する摘発や拷問が続いていた。 しかし、司法大臣が政治犯の釈放を拒否し、内務大臣が「反皇室的宣伝を行ふ共産主義者は容赦なく逮捕」と表明したことを受けて、10月3日、GHQは同法の廃止を指令する。 東久邇宮内閣はこれを拒否して総辞職し、後を継いだ幣原内閣の下で10月15日、『「ポツダム」宣言ノ受諾ニ伴ヒ発スル命令ニ基ク治安維持法廃止等』なる勅令を発し、同法を廃止、特高警察も廃止された。ここで重要なのは、同法が議会で廃止されたのでは無く、天皇の特別立法権(勅令)によって廃止されたことだった。 また、天皇が統帥大権を有し、内閣や議会のコントロールから外れた陸海軍についても、武装解除の後、45年12月1日付で陸海軍省が廃止された。 国体を護持

    lotus3000
    lotus3000 2012/10/06
    国民統合の原理を問うことなく冷戦の果実を享受してしまったがゆえの日本。追記も重要。/"大多数の勤労者の主張を代弁できる新しい左派も生まれていないわけで、むしろ右派の支持基盤になりつつある辺りが深刻"
  • SYNODOS JOURNAL : ナショナリズムの力——リベラル・デモクラシーを下支えするもの 白川俊介

    2012/7/29:0 ナショナリズムの力——リベラル・デモクラシーを下支えするもの 白川俊介 「グローバリゼーション」は今や世界の常識となっている。いわゆる「リーマンショック」以後もそれは変わっていないようである。今の世界や日には、「グローバル化」や「ボーダーレス化」というのが世の中の趨勢であって、それに乗り遅れてはいけないというような風潮があるように思われる。しかし、はたしてグローバル化/ボーダーレス化した世界は当に望ましいのだろうか。とりわけリベラル・デモクラシーとの関連で少し考えてみたい。 たとえば、鳩山元総理は「日列島は日人だけのものではない」という趣旨の発言をした。菅前総理は「平成の開国」なるものを掲げ「環太平洋戦略的経済連携協定(TPP)」への意欲を示し、そうした路線は野田総理にも引き継がれている。これらの背景には、「開国」という言葉に如実にあらわれているように、国家

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  • 北米社会哲学学会報告2/結婚制度、リベラリズム、中立原理の限界

    前回に続き、北米社会哲学学会@ポートランド大学からの報告。会場で取ったメモは全部で35ページあるのだけれど、前回の記事ではたったの5枚分しか紹介しきれなかった。このままのペースだと何回続くか不安だけど、うまいことまとめて5回くらいにおさまるといいなぁと思っている。ていうか、もともとはそれぞれの発表について1段落でまとめるつもりで書き始めたのだけれど、哲学の発表を1段落にまとめるのはさすがに無謀だった。 というわけで今回取り上げるのは、「結婚」をテーマとした二つの発表。まずは、これぞ哲学という感じにイマヌエル・カントの倫理理論と結婚観を「メール・オーダー・ブライド」と比較しつつ批判した、セントラル・ワシントン大学哲学助教授でカントを専門とする Matthew Altman の発表。メール・オーダー・ブライドとは、先進国の独身男性向けに、アジアや東欧・旧ソ連などの国の貧しい女性を結婚相手として

    北米社会哲学学会報告2/結婚制度、リベラリズム、中立原理の限界
  • キャサリン・マッキノン理論とラディカルフェミニズムの文脈の差異

    エミコヤマ @emigrl キャサリン・マッキノンはラディカルフェミニストだけど、彼女の法思想はラディカルフェミニズムの文脈とは少し違うところにあるよ。ラディカルフェミニズムがほかのフェミニズム思想と区別される点は、「父権制、あるいは男性による女性の抑圧を、あらゆる不公正の根底に位置づけること」これだけ。 2011-11-15 01:59:55 エミコヤマ @emigrl 手法や思想の過激さを言うなら、ほかにも過激なものはある。リベラル国家否定にしても、ラディカルフェミニズムだけではない。ある種の共産主義者が「資主義」あるいは「階級対立」を根底に置くのと同じ意味で、「父権制」を根底に置くことだけが、ラディカルフェミニズムを特徴づけている。 2011-11-15 02:02:00

    キャサリン・マッキノン理論とラディカルフェミニズムの文脈の差異
  • kogemayo氏のはリベラリズムとリバタリアニズムの折衷ご都合主義だな

    kogemayo氏は個人の精神的自由を原理として掲げて、ロリペドだろうがなんだろうが個人の自由だしそのための不都合は社会が保障すべきって立場らしい。 だがこれはリベラリズムではなく、リバタリアニズムの自由原理と、リベラリズムの社会保障をどっちも欲しいという話で、まあそりゃ実に都合のいい話ではある。 しかしリベラリズムのいう「社会」というのは四次元ポケットを持ったドラえもんではなく、結局個々人が合意のもとに構成するものなので、税金を集めて公的機関を作って、というある程度の「個人の自由制限」が前提となる。 したがってkogemayo氏の論は成立しないわけ。

    kogemayo氏のはリベラリズムとリバタリアニズムの折衷ご都合主義だな
  • リベラルを懐かしむ時代が来るのか? | TAMO2ちんの日常

  • http://gendainoriron.com/op4-honda.html

  • はてなブログ | 無料ブログを作成しよう

    月に1冊、未知なるを読もうという試み(2024年1〜3月) はじめに 1月:【暇・退屈論】國分功一郎『暇と退屈の倫理学』 2月:【決済】ゴットフリート・レイブラント、ナターシャ・デ・テラン『教養としての決済』 3月:【自炊】土井善晴『一汁一菜で良いという提案』 総括 はじめに 社会人として過ごす年数も少なくはなくなっ…

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    lotus3000
    lotus3000 2010/11/20
    僕も道徳保守と共同体主義的左翼との距離の近さが気になって、最小共同体主義というものがないのかが気になります。まあ、お互い勉強しないとね。
  • シャンタル・ムフ周辺のおしゃべり記録2010/4/30

    遺体 @Minority20 まずムフは駄目だと思い、次に再読してやはりアリかと思い直し、わばら君と話してまたムフはやっぱり駄目だと思い、しかし今朝再読してまたやはりアリではないかと思い直したという…リベラルデモクラシーを保守してる事から明らかにムフは広義のリベラリズムを前提していると思われるが… 2010-04-30 14:01:27 遺体 @Minority20 ムフによればリベラルデモクラシーには自由と平等という二つの原理がある。しかし無論これは抽象的で曖昧な原理であり、論者により多様な解釈が可能である。民主主義=デモクラシーはこの解釈の多元性を確保するが、同時にあくまでこの原理を逸脱しない事を要請する点でリベラルである。 2010-04-30 14:04:03

    シャンタル・ムフ周辺のおしゃべり記録2010/4/30
  • 現代国家とポピュリズム - on the ground

    去年のある時期から、現状認識についてまとまったことを書かなければならないという思いに駆られていて、それは主に社会学的な意味でということなんだが、社会学的な現状認識となると非常に総合的な判断として家族やら経済やら司法やら、色々な分野に目を配らなければならないので、正直いつになるのか分からないと思いながら断片的にを読んだりメモを取ったりしてきた。それをいつ書けるのか、そもそも書けるのかは今でも不明だが、別の角度から、つまり政治哲学や政治思想史的な見方からは何らかのことを書けるかもしれない。と言うのも、ここ数ヶ月のエントリの中には、断片的にそうした意味でのアイデアが含まれているから。 それは一言で言えば、リベラリズムとデモクラシーという近代的価値観がとにかく浸透し尽くした果てとしてのポピュリズム的状況ということであり、別の側面を捉えれば国家のメタモルフォーゼということでも言える。これは何から言

    現代国家とポピュリズム - on the ground
  • kousyoublog.jp – このドメインはお名前.comで取得されています。

    このドメインは お名前.com から取得されました。 お名前.com は GMOインターネットグループ(株) が運営する国内シェアNo.1のドメイン登録サービスです。 ※表示価格は、全て税込です。 ※サービス品質維持のため、一時的に対象となる料金へ一定割合の「サービス維持調整費」を加算させていただきます。 ※1 「国内シェア」は、ICANN(インターネットのドメイン名などの資源を管理する非営利団体)の公表数値をもとに集計。gTLDが集計の対象。 日のドメイン登録業者(レジストラ)(「ICANNがレジストラとして認定した企業」一覧(InterNIC提供)内に「Japan」の記載があるもの)を対象。 レジストラ「GMO Internet Group, Inc. d/b/a Onamae.com」のシェア値を集計。 2023年5月時点の調査。

  • サバルタン、もしくは複数的な私 - Arisanのノート

    mojimojiさんがsivadさんの記事に応答された、こちらのエントリー、そしてお二人の対話を、たいへん興味深く読ませていただいた。 とくに、「想像力」のある人とない人がいるのでは、というsivadさんのお話、そして「ない人」を組み込むような社会の倫理的な枠組みを作っていく必要があるのでは、ということは、ぼくも以下のエントリーなどで書いてきたと思う。 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070430/p1 http://d.hatena.ne.jp/Arisan/20070501/p1 じつはこのところ、ぼくもそういう立場から、何か新たに文章を書こうと思っていたのだが、同時に、自分のその考えの枠組みに納得できない面もあり、考えあぐねていた。 「納得できない面」という意味は、こういうことである。 ぼく自身は「想像力がない」という部類に入る人間であり、今回のエントリ

    サバルタン、もしくは複数的な私 - Arisanのノート
  • 道徳の厚みと広がり

    歴史的な文脈の制約を受けることのない普遍的な正義と呼べるようなものが存在するとすれば、それは各人が自らの置かれた歴史的な文脈を徹底的に掘り下げることによってしか見出すことのできないなにものかであろう。すなわち、われわれは、専ら自らが属する特定の境界内のマキシマルな「濃厚な道徳」を深めることによってのみ、境界を超えるミニマルな「広く薄い道徳」に到達しうる(『道徳の厚みと広がり』)。--徹底した歴史的文脈主義の中から哲学的普遍主義の可能性を導き出すこと、コミュニタリアニズムの認識を深めることによって、コミュニタリアニズムを超え、リベラリズムを一歩先に進めること。マイケル・ウォルツァーはこうした逆説的な議論を得意としており、書『政治と情念』においてもまた、従来のリベラリズムが排除してきた幾つかの主題--非自発的なアソシエーション、集団的な無力、文化的な周辺性が惹き起こす諸問題、市民社会に内在す

  • 寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去

    http://macska.org/article/225 講演中、かれは「原理主義的無神論者」を批判するクリス・ヘッジズ『I Don’t Believe in Atheists』に言及しながら、「無神論の原理主義なんて誰も怖がりはしないだろう、『もっと理性的に話をしよう』と言うだけなんだから」と嘲笑した。しかし現実に「新しい無神論」の代表的論客の何人かが、機会があるごとに米国のイラク侵攻を熱烈に支持する発言を続けている(ばかりか、イランが核兵器を持つ前に核で先制攻撃をしろとまで言っている人もいる)ことや、西欧におけるイスラム系移民排斥の口実がもはや「キリスト教文明を守るためにイスラム教徒を追い出せ」ではなく「女性や同性愛者の権利、言論の自由など近代リベラリズムの原則を理解しようとしないやつらを追い出せ、入れるな」となっているーーそれは要するに、近代リベラリズムの原則がイスラム系移民ら「市

    寛容は不寛容を寛容しない - 過ぎ去ろうとしない過去
  • 北米社会哲学学会報告3/フェミニズムによる中立国家リベラリズム批判

    例によって病気になって数日寝込んでいたのと、ファイトバックの会の泥沼に足を踏み入れてしまったのと、地元ポートランドで怪しげな事態が進行中なのでそっちに関わっていたのと(これはいずれ書こう)、まぁいろいろあってしばらく報告が中断されてしまったのだけれど、いい加減自分の記憶が怪しくなりつつあるので北米社会哲学学会レポートを再開する。今回は、フェミニズム哲学によるリベラリズム批判の発表について。 まず取り上げるのは、ネヴァダ大学リノ校哲学部助教授の Hye-ryoung Kang によるジョン・ロールズ批判。よく知られているように、ロールズは主著たる『正義論』(っていま絶版なの?)において、「無知のヴェール」によって自分の属する民族や性別といった属性についての知識を持たない「原初状態」において、人々が自らの意志で合理的に同意するであろうとする正義の原理を打ち出した。その「原理」の具体的な内容につ

    北米社会哲学学会報告3/フェミニズムによる中立国家リベラリズム批判
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