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*もっと周知されるべきと思想に関するlotus3000のブックマーク (2)

  • 《つながりかた》 メモ - Freezing Point

    嗜癖の認め合いがオタクのつながりなので、そこには嗜癖そのものを対象化する臨床目線はない。 昨今の知識人コミュニティでは、オタク的嗜癖を誇示することでPC的正当性を担保する。 オタクであることの誇示が、思想的正当性の誇示に等しい。 これは、ハイカルチャーで自分の正当性を誇示していたことと、さして変わらない。 理念の誇示を、嗜癖の誇示に置き換えただけ。(むしろ古い知識人は、理念への嗜癖をベタに誇示していた) 医者や学者であっても、オタク趣味を誇示できれば「あぁ、フレンドリーだ」と許される。 だが、まったくの間違い。 ベタな関係性のレベルで狎れ合ってるだけで、傲慢なメタ目線は温存されている(むしろ「サブカルも分かるもんね」がアリバイになり、傲慢さが補強されてしまう)。 「学問ではマジだけど、友達としてはイイ人」という、ナルシシズムの褒め合いっこ。 学問のメタ目線は、それ自体がオタク的嗜癖の形を

    《つながりかた》 メモ - Freezing Point
    lotus3000
    lotus3000 2010/04/10
    発掘エントリ 多分素直にひきこもり問題が政治のみで解決できない原因はここらへんにあるのでは?
  • 「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去

    別に関係の無い話として読んでもらってかまわないのですが、「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は××人である。だから○○はロクなもんじゃない」という論法への違和感について。 もちろん、虐殺という結果にいたった思想や体制はまったく擁護できないし、それは失敗であったと言わなければいけないと思います。しかしです。こうした議論の帰結は「だから○○思想を持ってるやつはロクなやつじゃない。反省せよ」になることが多くて、それにはとてつもなく違和感を覚えてしまうのです。え?それその思想を支持している人だけの問題なの?ということです。いやもちろん、その思想に対するつじつまを持ってない人はつける必要は無いわけですが、そうした思想が社会に浸透することを問題化するならば、誰もが責任が無い傍観者ではいられなくなるのです。つまり、ある思想のもとで多くの虐殺が起こっているならば、それは思想そのものに虐殺を引き起こしうる内

    「○○思想(体制)が生み出した犠牲者は〜」論法 - 過ぎ去ろうとしない過去
    lotus3000
    lotus3000 2010/02/01
    二年前のエントリー。でも内面化した価値基準と可謬性へどう開かれるべきかが残っている問題。
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