「東大に合格した」と言えば、世間から見れば紛れもないトップレベルの学生たちだ。なかでもトップたる首席卒業ともなれば、順風満帆の天才秀才揃いと思える。だがご本人たちに振り返ってもらうと、人生は山あり谷ありのようだ。 過酷な運命が待っていた 東大首席卒業—。それは最高学府に進んだ学生のなかでも、トップであったことを意味する言葉だ。明治大正の世ならば天皇から恩賜の銀時計を授けられる、栄誉ある地位だった。 では、東大を首席卒業した人々は、その後、どのような人生を歩んだのだろうか。本誌は昭和30年代の卒業生を中心に、卒業式で学部総代を務めた、いわゆる首席卒業生を徹底取材。そこにはさまざまな運命を辿った人々がいた。主な人々の「その後」は上の表をご覧いただきたい。 「80歳を過ぎたいまになって思うのは、人生を左右するのは、学歴よりも『人』だということですね」 昭和32('57)年に東大農学部林学科を卒業