その1、その2と侯景について検討してみましたが、今回は王敦について。 deliciousicecoffeeさんのブログより引用します。 4世紀 東晋の王敦が南京に首都建業する際に大虐殺 まず、これを書いた人は「建業」というのが都市名であることが分からず、動詞のように使ってます。そもそも王敦は皇帝ではないので首都を建設することはできません。建業というのは地名です。現在の南京市のやや西よりに当たります。 『晋書』から王敦伝を調べてみました。王敦は反乱を起こして石頭城を攻め落としています。 『晋書』王敦伝 (原文)敦至石頭,(略)諸將與敦戰,王師敗績.既入石頭,擁兵不朝,放肆兵士劫掠内外.官省奔散,惟有侍中二人侍帝. (訳文)王敦が石頭まで侵出してきた。諸将は王敦と戦ったが官軍のほうが負けてしまった。(王敦は)石頭に入城を果たしたあとも軍隊を抱えたまま参内せず、兵士たちを放って城の内外で略奪を働