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コミュニケーションに関するlreのブックマーク (3)

  • なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない

    なぜ人は「フレーム問題」に陥らないのか 人が世界と関わる二つの方法、認知と行為とはどのようなものだろうか。そのわかりやすい例が人工知能の「フレーム問題」だろう。人工知能にチェスのような「閉じた」ゲームを遂行させれば、計算によって最適解を求めながら遂行するだろう。しかしたとえば有名なダニエル・デネットの「フレーム問題の寓話」のような「開放系」の状況では、その過程で起こる場面(フレーム)が無限に考えられるために計算を収束させることができず、フリーズしてしまう。これを「フレーム問題」という。 「フレーム問題の寓話」 http://www.johf.com/logs/20070422b.html 昔、R1という名のロボットがいた。ある日、R1の開発者たちは予備バッテリーを別の部屋に隠して、その部屋に時限爆弾を仕掛け、まもなく爆発するようにセットした。R1は部屋をつきとめ、バッテリー回収作戦を立案し

    なぜ人は人工知能化するのか  「陶酔する人工知能たち」その1 - 奴隷こそが慈悲を施さなければならない
  • イラスト コミュニケーションサービス[pixiv(ピクシブ)]

    pixiv(ピクシブ)は、イラスト・マンガ・小説の投稿や閲覧が楽しめる国内最大級の作品コミュニケーションサービスです。幅広いジャンルの作品が投稿され、ユーザー発の企画やメーカー公認のコンテストが開催されています。

    イラスト コミュニケーションサービス[pixiv(ピクシブ)]
  • また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題

    ところで成句「趣味は人間観察です」は、いろんな経緯があってのことだが、発声即ち「自分は自意識過剰の痛いひとです」という主張を意味するので、取り扱いが簡単でない。ようするに、 観察する側の人間である=行動する側の人間ではない=場の主流派に所属していない、まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない人間である、と言っているのに等しい(もちろん個別の例外はあるが、それは後々カスタマイズしていけばよいだけのことで、データベース型の第三世代人間関係インデックス能でマッピングする際は、初期位置をそこにセットするのが自然だ)。コミュニケーション至上主義勢の用語で一言でいえば「さびしいひと」。 なぜここで「まして集団の主導的立場に立つ機会などほとんどない」とまで断定できるのかといえば、それができるひとの大概はそれなりの人間観察能力を持ちつつもそれをあくまで手段として使っているから。趣味的な観察はあくま

    また君か。@d.hatena - 「趣味は人間観察です」問題
    lre
    lre 2007/10/10
    「メタブックマーカーです」と聞いたらニヤニヤします。
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