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思想に関するlt004036のブックマーク (4)

  • web kikaku

    私たちが同時代として生きている「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」(私個人の場合は、十五歳から六十五歳までの五十年)は、百年先にどう総括されるのだろうか。 むろんさまざまな切り口での総括の一つとしてではあるが、「情報技術(IT)が世界を大きく変えた時代」と総括されることは間違いなかろう。 素人ながら思想・哲学の歴史をひもとけば、次世代に大きな影響を及ぼした偉大な思想・哲学の多くが、激しく変化する同時代の最先端で、同時代の意味を、また同時代をいかに生きるべきかを必死に考える営みから生まれてきた。その営みの途中経過は、同時代にはそれほど理解されず、その意義は歴史の判断に委ねられるため、評価の定着はかなりあとになる。 「一九七五年から二〇二五年までの半世紀」も、既に最初の三十年が過ぎている。半導体の発明に端を発するパソコンの誕生、チープ革命の継続、インターネットの発展、オープンソースの

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    東大生でない中川淳一郎さんが駒場寮で得た人生訓(私と東大駒場寮 3) 駒場寮の北寮9Bの部屋、「基礎科学研究会」、略して「KKK」の部屋 予備校の講師に連れられて、駒場寮に出入りするように 「代わりに面接受けろ」入寮の面接は「替え玉」で突破 「経営と文体の基は寮での読書で培った」 東京大学の駒場キャンパス(東京都目黒区)にか…

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  • 世界中の「知」を閉じ込めることは可能か - ビールを飲みながら考えてみた…

    全人類の「知」をインターネット上でアクセス可能にする――かってテッド・ネルソンが唱えたザナドゥ計画などはまさにこの走りといっていいだろう。Webを通じて世界中の「知」がアクセス可能である。この言葉をはじめて聞いたとき、その壮大な計画に心躍らせたことを覚えている。しかし今、この言葉は、未だに魅力的な言葉ではあるけれど、ある種の戸惑いを隠せない。 果たして「知」とは何か。 例えば「宇宙は地球を中心に回っている」というと、現代人ならそんな馬鹿なと思うだろうが、プトレマイオスからコペルニクスまでの人々からすればすれは「正しい」ことであり、それこそが「知」であったはずだ。またある学者が若き日に発表した学説と、その後の学説で多少の相違があることは珍しくもないだろう。しかしそれをもって「変節」として彼を責めたてることは少ないだろう。 つまりミッシェル・フーコーがあきらかにしたように、「真理」や「知」とい

    世界中の「知」を閉じ込めることは可能か - ビールを飲みながら考えてみた…
    lt004036
    lt004036 2006/07/06
    「つまりミッシェル・フーコーがあきらかにしたように、「真理」や「知」といわれるものも、時代的な制約を受けるものであり、それが未来永劫変わらぬ「真実」であるとは限らないのである。」
  • 佐伯啓思

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