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カミュに関するluccioraのブックマーク (2)

  • シーシュポスの神話ー創造と苦しさと喜びと - lucciora’s diary 蛍日記

    カミユの「意思も一つの孤独である」という言葉に惹かれて、 私も 「シーシュポスの神話」を読んでみた。 ちなみに、その言葉に出会ったいくつかの記事の中のひとつが、下のブログだった。 カミュの言葉についての考察その他、映画をまたいで、テーマを探っていく 書き方がとてもおもしろかった。 http://camus242.blog133.fc2.com/blog-entry-191.html シーシュポスの神話。 感じるところはあるけれど、結局、 上のブログ以上のことは自分には書けそうにないと思った。 以前、テレビで、吉増剛造さんと羽生善治さんの対談があった。 その中で、詩を作ることにしても、勝つための将棋の手を考えることにしても、 終わりのない、苦しい作業、けれど喜びを見出す時もあるという2人の対話があった。 そこで、シーシュポスの神話について触れる場面があった。 2人の姿は、まさにシーシュポ

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  • カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記

    孤独感とは何処からくるのだろう。 ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。 『意志もまた、一つの孤独である。』 カミュ カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。 だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。 この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。 シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女のを相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユの著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。 カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示

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