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2016年9月5日のブックマーク (2件)

  • ユング 魂の現実性(リアリティ)/ 河合俊雄著 備忘録 - lucciora’s diary 蛍日記

    魂のリアリティ カラバッジョ作 ナルシス 1597-1599年ごろ ユング派の心理分析家の河合隼雄さんが大好きで、も結構読んでいる。 人間の「心」というものの、深さ、複雑さ、重層的なあり方。 それらを知り尽くした隼雄さんの視線は、きれいごとだけでは済まない人生の様々な局面や困難について、どこか『母性的』な包容力を感じて、読んだ後包まれるような気持ちになる。 今回初めて、息子の河合俊雄さんのを読んでみた。 息子の俊雄さんには、どちらかというと、『父性』を感じた。 物事を論理的に理解し、道を示そうとするような透徹した理性。 ユング心理学のアプローチはずっと好きで、著作も興味深く読んできた。ある時期は私自身も夢分析を受けていたことがある。 ユング心理学の夢分析は、カウンセリングを受けたからといって、すぐさま自分が生きていく上で抱えている困難が、解かれるわけではない。 むしろ、時には心の深い底

  • カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記

    孤独感とは何処からくるのだろう。 ネットをブラブラしていたら、カミュの言葉に出会った。 『意志もまた、一つの孤独である。』 カミュ カミュはよく知らない。中学生のころに、異邦人を読んだだけだ。 だが、シジフォスの神話についてのカミュの文章は読んでみたいと思った。 この神話自体は以前から知っているけれど、カミュはあの時代、あの年齢で何を考えたのか。そして46歳の時に事故で亡くなってしまったのだけれど。もっと長く生きていれば、作家として、様々な展開があったのではないだろうか。 シモーヌ・ヴェイユを発見し、そして彼女のを相次いでガリマール社から出版したのはカミュだったことを考えると、カミュという人も、ヴェイユの著作との出会いを通して、いづれ信仰に出会ったならば、全く違う世界観に辿り着いたかもしれない。 カミュは信仰を持たなかったが、人の生の不条理を見つめる中で、無意味を敢然と受け入れる姿勢を示

    カミュにとってのヴェイユ - lucciora’s diary 蛍日記