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ブックマーク / kasasora.hatenablog.com (10)

  • おしゃれしないと死んじゃうの - 傘をひらいて、空を

    疫病が流行しているのでよぶんな外出を控えるようにという通達が出された。そのためにわたしの勤務先でもテレワークが常態化して、人によってはフルリモートである。そのためにまいってしまった社員がけっこういる。彼らは口々に言う。些末なコミュニケーションがないことの非効率性について。仕事時間の区切りがつかなくなる危険性について。あるいは、家庭用のダイニングテーブルで長時間PCをたたくことの健康上の問題について。 わたしはそれらについてできるかぎり解決し、あるいは解決できないと告げる。そういう係なのだ。わたしは非効率性の内容を精査する。わたしは交通費を廃止する。わたしは代わりに「在宅勤務に係る手当」を支給する。わたしは常よりこまかく面談をもうける。業務にまったく関係なくてもいいからリモートをやっていてしんどいことを教えてくださいと言う。参考にしたいので、と。 彼らは口々に語る。運動不足による宿命的な体重

    おしゃれしないと死んじゃうの - 傘をひらいて、空を
    lugecy
    lugecy 2021/04/24
  • 土曜の朝の子守歌 - 傘をひらいて、空を

    時計を見るととふだん起きる時刻だった。今日は休日だと思いながら布団のなかでにこにこしていると、携帯電話が鳴った。 私はそれを取り、ベッドから半身を乗りだしてカーテンをひらく。朝の習慣だ。おはようと私は言う。さわやかな朝だね。日光をあびると良いよ、バイオリズムが整う。僕はまだ夜の続きなんだと彼は言う。彼は私と同じ業界のやや異なる職に就いている。彼はいつだったか、僕らはいわば精神的な同期だねと言った。私たちは同い年だ。 彼の長い夜の内訳を問うと、空が白むまでが仕事で、そのあとがお酒だという。ばかだねと私は言う。終わったらさっさと寝たらいいのに。それで、いいだけ眠ったらブランチにするの。やわらかなオムレツと、口の中が切れそうなバゲット、とかね。そしてお散歩をする。夜になったら小説を読んで眠る。アモンティリャードはなし、ボンベイサファイアもなし、グレンリヴェットもなし。誰かとひとびんのハートランド

    土曜の朝の子守歌 - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2011/05/01
  • フラジャイルのゆくえ - 傘をひらいて、空を

    恩師は会場を視線で走査して私と近い年代の卒業生の名を次々と口にする。カキハラちょっと太ったよね、でも前よりいい男になった、サカモトの子、でかいな、うちの子とおんなじくらいに見える、ハヤシはナチュラルメイクに転向したのか、うん、結構なことだ。十年ちょっとだと極端な変化はないかな、でも安定感は出てくるな、昔はみんな危なっかしかったけど。 私は在学中に講座責任者だった教授の最終講義に出て、パーティにうつり、別の恩師にあいさつしたところだった。恩師は異常といっていいほどすぐれた記憶力を持ち、わけても人の顔は何度か見たらたいてい覚えているのだった。大教室の授業に三分の二も出席した学生だったら、しばらく経ってからでも見分けられる。私の在学中、彼はそう言っていた。関心とか感情とかあんまり関係ない。目から入った情報がそのまま残る。そういう頭なんだ。 三十過ぎて危なっかしい人はそんなにいませんと私は笑う。私

    フラジャイルのゆくえ - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2011/04/13
  • 正義アディクション - 傘をひらいて、空を

    みんな正義が好き、と私は言う。とくに今は、大勢の人が正義と善を成したいと思ってるみたいに見える。一ヶ月後でなく、半年後でなく、今すぐ何かしたい、私もそう思うことがあるの、どうしてかな。 コントロールしたいからだねと彼はこたえる。状況は制御可能であると、自分の関与が有効であると思いたい。だから僕らはストーリィをつくる。美しい日人たちがその美しさをいかんなく発揮し、善意が悲劇を救い、自分がその一員であるというストーリィ。 私は彼を見る。もちろんそれは事実だ、と彼は続ける。でもほんの一部、そのさらに一側面だ。色見から真紅だけを取りだして画面を塗りつぶしてこれが色というものだと宣言するようなおこないだね。 ときにはそれも必要なんじゃないかなと私は言う。不安でいたたまれないときにひとつの色だけを取りだして視界を塗りつぶすのは、必要な非常手段といえるんじゃないかな。 麻酔薬は麻酔医しか使えないから

    正義アディクション - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2011/03/31
  • 大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を

    ゆうべも揺れたねと彼女は言った。ねー、怖かったあ、と私はこたえた。眠ってても揺れた気がして起きちゃうし、ほんと、つらい。 彼女は一瞬の、ずいぶんと重量のある沈黙ののち、表情のない声を出した。サヤカあなたなんでそんな簡単につらいって言えるの。私はいささか仰天してとりあえず謝った。彼女はひゅっと音をたてて息を吸い、無表情のままそれを少しずつ吐き、ううん、謝ることないの、と言った。 大丈夫ってみんな訊くでしょう。彼女は言う。地震直後は、それがうれしかった。会社から歩いて家に着いて、家族もけがしてなくて、とてもほっとして、よろこんで返事した。でも地震が続いて、電気が止まって、仕事にも少しずつ支障が出てきて、買いにくいものがあって、みんな、また訊いてくれるの。心配して声かけて、メールをくれる。大丈夫って私、言う、メールを書く、大丈夫平気大丈夫です大丈夫です大丈夫です、 私はおろおろしてカフェの椅子を

    大丈夫って言いたくなかった - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2011/03/31
  • サーカスの馬 - 傘をひらいて、空を

    彼は話し、私は笑った。彼は自分の身のまわりのできごとやそれをもとに考えたことを話すのがとてもうまい。私たちは速度や語彙の制限なしに会話することができる。私たちは年に何度か、ふだん行かない住宅街のなかの小さいコーヒーの専門店で待ちあわせ、そして、そのほかの場所では会うことがない。そこには大量の柱時計とまずくなる直前まで濃く淹れられたコーヒーとひとつひとつかたちの異なるたくさんのコーヒーカップがある。 スキューバの仲間がねと彼は言う。気がついたらやけに女の子が多いんだよね、僕が幹事役だからだと思う。女の子ってすごく簡単にプラスのフィードバックをくれるからつい仲良くなっちゃうんだ。ポケットにいつもチョコレートが入っていてそれをぽんとくれるみたいな感じ。男同士が認めあうのってすごいハードル高くて、なかなか褒めてもらえない。男の友だちとばかり遊んでると褒められるのとかが足りなくなるんだよね。 女たち

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    lugecy 2011/03/29
  • 読モとボーナスとまともな人間関係 - 傘をひらいて、空を

    読モ、と彼は言う。電話を通した声がくぐもっている。毒蜘蛛、と私は訊く。わざとだ。なに言ってんだモデルだよ雑誌の、プロじゃないしろうとの、と彼は言う。私は仕込んだ冗談が不発だったことにひそかに落ちこむ。それじゃあ美人だね、すらっとした。 美人美人と彼は繰りかえす。美人が好きなのと私は訊く。美人が好きじゃない男なんていないと彼は言う。いるよと私はこたえる。そんなことわかってると彼は言う。あのさあセンセイこの世のたいていの人間はさ、なんかこうセットになった言い回しを頭の中に入れてるわけ、で、それを会話の中で半ば反射的に出す、今みたいに、その正否をいちいち指摘すんな、うぜえ。 セットになった言い回しを脊髄反射で交換する省エネな会話をお望みならよそへ行ってくださいと私は言う。そういうのって私、職場でしかしない方針なので。センセイ相変わらず、と彼は言う。彼は私をセンセイと呼ぶ。 私は軌道を修正する。今

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    lugecy 2010/12/13
  • とっとーの時間 - 傘をひらいて、空を

    扉のひらく音がした。集中していなかった証拠だ。完全に没入しているとき、その音は聞こえない。いきなり家族が視界に入ってくる。こんな夜中には、はまず来ない。来るのは彼に似て宵っ張りな娘だけだ。 とっとー、とっとーと彼女は言い、椅子によじのぼる。彼はや娘が仕事部屋に入ってきたときのために、デスクの横に椅子を置いている。彼女たちはそれに座る。娘は彼の膝の上に置かれるより、大人のように椅子に座るほうが好きだ。 彼は自分の椅子のレバーを引く。視界が十センチ下降する。彼女はうれしそうにぷしゅうと言う。椅子を低くするのは最初、視線の高さを娘のそれに近づけるためだったのに、今ではどちらかというと彼の芸みたいになっている。円滑に親をやるにはちょっとした芸が必要だ、と彼は思う。フリスビーを取ってくる犬みたいな。わんわん。 わんわん、と彼女は返す。そうして犬の人形を彼のシャツにごしごしとこすりつける。犬はひし

    とっとーの時間 - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2010/12/09
  • ごはんつぶ離別 - 傘をひらいて、空を

    いいねえ、なんかこう、立派っぽい理由があって別れててさあ。彼女がそう言うので私は驚いた。語っていた友だちもびっくりして、ひとつも立派じゃないよと言った。 いや立派だね、私が同棲三ヶ月で別れたときに比べたらはるかに立派だねと彼女は言う。立派じゃないって、どんな理由で別れたの、あなたたちは。私がそう訊くと彼女はなぜかいばって、ごはんつぶ、とこたえた。 一緒に住んでたら、事もよく一緒にするでしょ。そしたら彼はごはんを残すわけ。残すっていうかお茶碗に何粒もはりついてる状態でごちそうさまなわけ。いやじゃない、それって。 私は少し思案してこたえる。私は米粒は残さない習慣がついてるけど、人によって作法は違うし、そんな気にするほどのことじゃないと思うよ。彼女はそうでしょうそうでしょう私も最初はそう思ったの、と勢い込んで言う。 でもだめ。なんかもう、がまんしてるとこっちがごはん入っていかなくなる。またあの

    ごはんつぶ離別 - 傘をひらいて、空を
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    lugecy 2010/12/05
  • 町のはずれの森の中の深い洞窟 - 傘をひらいて、空を

    彼おとうさんとうまくいっていないんですって、と彼女は言った。また、と私は訊いた。また、と彼女はこたえた。あなたってそういう人とばかり縁があるみたい、と言うと、彼女は少し思案し、上下左右に順繰りに視線を送って、それから言う。 おかあさんとうまくいっていないとか、おとうさんとしっくりきていないとか、そういう問題はよく聞くけれど、それはわりといろんな人にとって核になりうる問題だから、だから聞くんだと思う、私は、ただ親しくなった男の人から、あっという間に、なんていうか、留保のない情報伝達をされる、そういうパターンができあがっている、彼らの話題の共通性よりは、そのことを考えたほうがいいように思う、そう、男の人だけではなくって、仲良くなった女の人だって、早い段階で深刻な事情を話すよ。 彼女がそう言って私の顔をのぞきこむので、私は息が詰まった。私だって、その種のことを彼女に話した。十年ばかり前、私と彼女

    町のはずれの森の中の深い洞窟 - 傘をひらいて、空を
    lugecy
    lugecy 2010/09/04
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