2005年は、戦後60年の節目の年であり、同時に両国政府が定めた いわゆる『日韓友好年』である。 日本側は、日本以外には友好国として認めてもらえない韓国を相手に 愛知万博期間中の韓国人の入国ビザを免除したり、万博終了後の ビザ免除の継続を検討したり、韓流ブームを人工的に起こしてみたり、 両国の文化交流を推し進めるべく多大な努力を払ってきた。 竹島は、歴史的にも、国際法上も、国際的な認知も、完全に日本固有の 領土だというのに武力占拠してお門違いの領有を主張する韓国を相手に 日本は「漁場の共同利用」を持ちかけるなどの譲歩もした。 そもそも日本は昔から「隣国を愛せよ」とばかりの友好路線だったため、 韓国が国内の借金や外国からの借金を返せなくなって破産しかければ 肩代わりし、韓国が通貨危機で経済破綻しかければ単独国家としては 世界最高額(アメリカの2倍)をポンと出したりもしていた。 日本は、友好年