はたして、これは未来に残っていくだろうか? 話題の「あたし彼女」を読んで考えた。もちろん、未来のことは分からない。だからそれは、「ぼくはこれを未来に残したいか?」という自問の意味合いが強い。或いは、これまでに見聞きしてきた「古き良きもの」の、漠とした記憶が導く予断か。音楽でも映画でも文芸でも何でも、「作品」と呼ばれるものを前にしたとき、この問いはぼくにとって重い。それは「娯楽作品だから」とかいうような偏見とは無縁である。浜崎あゆみや倖田來未の流行をぼくはクダラナイものだったとは思わない。ただ、彼女たちの歌はその場限りで消費されていくための作品だったと思っている。 だからぼくは、彼女たちの音楽について、ひとつひとつの作品としてはあまり興味を持てなかったし、一曲一曲を独立した作品として評価はできないな、とも思っていた。要するに、あれは「あゆ」という現象に対する共感であり、「くぅちゃん」という現