2001年4月、日本の新しい歴史教科書をつくる会編集による扶桑社発行の中学歴史教科書が文部科学省の検定に合格したことに対して、中韓両国において抗議の世論が隆起した。金泳鎮は、自国世論を酌んだ抗議の意を日本の政界に伝えて日本政府レベルの「反省」を促すため、4月10日、日韓キリスト教議員連盟の韓国側メンバー3名を伴い来日した。 来日後、日本政府・日本国会の要人と会談して抗議文(下記外部リンク参照)を手交し抗議したものの、はかばかしい反応がないことに憤激した金泳鎮は帰国日程を延期し、4月11日に国会議事堂正門前、4月12日以降は議員会館前においてハンガー・ストライキを実施、4月16日にドクターストップによる制止を受けるまで座り込みを継続した。日本側からは日本キリスト教協議会・在日韓国・朝鮮人のキリスト教団体や市民団体などが彼の行動に賛同し、多くの信者らが座り込みに同行した。この間、与野党の数十人