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2015年1月3日のブックマーク (2件)

  • 嫌いというだけで人に憎悪の言葉をぶつけてはならない理由

    正月でひまなので安藤さんの一件に言及してみる。これは最近私が気になっていることでもあったから。私は社会にとって悪影響が大きいから、という理由からこういった他者を嫌いと言うだけで叩くことはしないほうがいいと思っている。 まず幾つかの彼女を叩いていい理由があったのでそれを羅列してみたい。先に伝えておきたいのは叩いていいことと、叩かれることは防げないのは別の話。 1、他の選手は嫌われていないのに安藤さんは嫌われているから 2、人を罵る言葉であれ、言論の自由がある 3、目につくから。何か言われるのが嫌ならsnsにあげなければいい 4、不愉快な思いをした人がいたから 5、一般人も叩かれているから 1に関して。昔、クラスでいじめがあり、それが発覚し学校単位で話し合いが行われた時のいじめっ子の言い分が『だってみんなその子のこと嫌いだったから。その子にもいじめられる原因があると思う』だった。みんなに嫌われ

    嫌いというだけで人に憎悪の言葉をぶつけてはならない理由
    m-kawato
    m-kawato 2015/01/03
    "ただ嫌いというだけで相手を叩くことが容認される社会では、嫉妬による攻撃も容認されるし、普通とは違うような才能を持った人間への攻撃も容認される。"
  • 衰退しつつある産業がやりがちな「お説教広告」について - ココロ社

    テクノロジーの進化が、かつて栄華を極めていた巨大企業のビジネスモデルを成り立たなくさせてしまうことがある。たとえば郵便。物流はなくてはならないが、信書について考えてみると、手紙を出すメリットはほとんどない。手書きだと温かみがあるような気がするが、別にLINEで暖かいメッセージをクリエイトすることは可能であるし、手書きの手紙をもらったら手書きで返さなくてはいけないような気がして、むしろありがた迷惑という気もしなくもない。手書きで手紙を書くのなら、往復ハガキで、返事も書いておいてほしいし、それが当の礼儀というものではないだろうか……などと妄言を吐きたくなってしまうほどに信書の電子化は不可避であり、ドル箱であったところの年賀状もまた、衰退の一途を辿っている。 先月の話だが、電車を降りたら不意打ちに遭った。 つまりこれは、「年賀状を出して、ちゃんとした大人になりなさい」という意味である。しかも、

    衰退しつつある産業がやりがちな「お説教広告」について - ココロ社