幸せって思える時って、 今が幸せなう。 なんじゃなくて、 この先幸せになれる確率が前より高いっていう期待値を実感出来る時なんだと思う。 だから、誰かを幸せにするコンテンツを本気で作りたいんだったら、 今じゃなくて ”ちょと先の未来が幸せだと妄想出来る余地があるなにか” を作って実感させないとならない。 幸せなんて提供しなくていいんだぜ。 むしろ提供したらおしまいだ。 幸せになれそうだって思わせるんだ。
幸せって思える時って、 今が幸せなう。 なんじゃなくて、 この先幸せになれる確率が前より高いっていう期待値を実感出来る時なんだと思う。 だから、誰かを幸せにするコンテンツを本気で作りたいんだったら、 今じゃなくて ”ちょと先の未来が幸せだと妄想出来る余地があるなにか” を作って実感させないとならない。 幸せなんて提供しなくていいんだぜ。 むしろ提供したらおしまいだ。 幸せになれそうだって思わせるんだ。
最近まで、ネット上のIT系ニュースで度々システム障害で我々にネタを提供してくれる某巨大都市銀行の次期システム開発に下請けとして新卒から参画していた。「某巨大都市銀行の次期システム」という時点でどこの銀行かピンとくると思う。次期システムとは大雑把にいうと80年代に構築され今なお稼働しているシステムのうち、外為、内為、預金などの業務にて稼働するサービス(実際のプログラムになる)を疎結合化してそれぞれのサービスを部品として再利用性やメンテナンス性の向上を図る、いわゆるSOA(サービス指向アーキテクチャ)で作り直そうというものだ。この辺も心当たりのある銀行と次期システムとかでググれば出てくると思う。銀行システムをSOAで構築するのは日本では初めて!!すごい!!先進的!!!という触れ込みだったらしいが、立ち上げからいるわけでもなくSOAの利点も結局実感できぬままこの業界から去ってしまったので本当に謎
わたしはいわゆる男の娘だ。部屋の中で女装していただけだったのだが、「これじゃただの変態だな」と思い一念発起した後、いろいろ試行錯誤してかなりパス度を高めることに成功した。(パス度っていうのは女装だと見抜かれない率のこと)そしていまは大学にときどき女装して通っているし、この前無事に女の子としてバイトもはじめた。世の中じゃ結構こういう苦労をしている人はいると思うのだけれど、あんまりそういった苦労話をしているのは見たことがなかったので、振り返りの要素を込めて自分のためにもちょっとまとめてみたいと思う。世の中にはこういう人もいるのだということを知っても損はしないのではないだろうか。女装したい人やmtfの人にすこしでも参考になればと思う。 もともと中学高校と男子校に通っていたのだけれども文化祭などでときどき女装させられていた。表面上は嫌がっていたのだけれども、正直とても嬉しかったし、客観的に見てもそ
妻と結婚して3年以上過ぎた。 私たちは中学の同級生である。高校時代から付き合い、途中別れることもなく結婚した。そういう経緯であるから、私たちはお互いをよく知っているものだと思っていた。 結婚前に義母には「うちの娘は全く掃除ができません。それでもいいですか?」と言われていた。そうはいっても、いわゆる「しつけ」のちゃんとした家庭であったから「全く掃除ができません」は謙遜だと思っていた。たしかに結婚前に妻の実家の部屋に行ったときは荷物が雑然と置かれていた。しかし、だからといって「全く掃除ができない」という事はないだろうと思っていた。彼女は高校時代から自分のお弁当は自分で作っていたし、字も綺麗であったし、ノートも整理されていたから、「全く掃除ができない」は冗談だと思っていた。 だが、しかし、である。 本当に掃除ができない。正確に言うなら、「物が捨てられない」。 私はその事実に気がつくまで、「物が捨
お前らこそが日本の癌ってことに早く気づこうぜ。 鳩山のときもそうだけど、日本のトップを馬鹿にして喜んでやがるクズども。 あのなー、仮にも日本の民意で選ばれたトップなわけ。 それを馬鹿にするってことはイコール自分たちが馬鹿ってことだぞ。 しかも外国人にルーピーって馬鹿にされて大喜び。馬鹿じゃねーの。 自国のトップを馬鹿にされて喜ぶ自国民なんて日本くらいだよ。 恥ずかしくないのか。国辱行為に喜ぶなんてお前らホントに日本人かよ。 自民信者は麻生は政局よりも経済政策を優先させて偉いとか言ってるが、 お前らこそ政局に一喜一憂してるクズじゃねーか。 一丸となって経済政策すべき、っていうんならもうちょっとは今のトップ応援しろや。 お前らこそが日本の政治をぐらぐらにしているわけ。 一年ごとに総理が変わるのもお前らがトップを見捨てているからなの。 無能はお前らだっての。いちいち総理やめさせて何がしたいんだよ
三十路の男ですが現在10歳以上年下の彼女が居ます。この歳になると若い女の子とは中々話も合わない事もありそれとなく避けていたのですが彼女からの猛プッシュによりお付き合いをする事になりました。お付き合いをする上で僕から一つだけお願いしたのが『今やっているなら仕方がないけど、mixiやtwitter等、割合身元を明るくして交流するサイトに関しては出来るだけ控えて欲しい。』と言う事でした。彼女からの返答は『mixiは中~高校生時代の友達の連絡場所になってるから今以上マイミクを増やさずやって行く、twitterはやっていないのでこれからもやらないよ』との事でした。彼女と付き合うようになって数カ月、特に大きな喧嘩する事もなく順調に交際を続けて僕の自宅に泊まりに来るようにもなったのですが彼女が帰った後、とあるサイトを見るためにノートPCのブラウザにアドレス直打ちしようと『T』と言う文字を打ち込んだらtw
都会は交通網が発達しているから車なくても生活できるとかよく聞く。でも、たまに東京とかに出る用事があるけど、実際、車無しの生活ってかなり厳しい。まず、駅まで遠い。田舎じゃおもてを5分歩くなんてことほとんど無いけど、東京じゃ5分、10分歩くのがザラ。凄い暑い日とか寒い日とか雨の日とかみんな我慢して外歩いてると思うと関心するとしかいいようがない。駅までついても電車になかなか乗れない。駅に入ってからもホームまで何百メートルもあって、その間、階段を上ったり降りたり足腰が弱い年寄りは絶対無理だよね。それでホームに着いたら人でいっぱいだし、やっと乗ったら座れないし、隣の人近すぎだし臭い。シートが臭ってんだろうけど体臭が古くなったみたいな臭いが室内がむっとする。そんなこんなで東京じゃもっぱらタクシーを利用するようになったけど東京のタクシーはいいね。運転手はみんな親切だし、何より通りに出ればすぐつかまる。で
生活保護世帯18歳が頑張って東大に行ってみました。 流石に資金集めから始めて二浪したけど、ふつうに東大出ました。 いわゆる「ちょうえりぃと」と言われる職場に就きました。二年目です、年収500弱です、しょっぱいです。 奨学金の借金が500万あります。それから、両親からプレゼントされた借金が500強あります。 そういう生ゴミのような両親とは縁を切ったので、介護とかそういう心配はないです。一杯一杯です。 で、わたしが十代の頃描いた未来像では東大を出ればチンチン乾く暇もないうっはうはで デカい家に住んで夜景みながらシャム猫を撫ぜつつブランデーを傾けてるはずなんですが、 そのわたしがなぜ、北国の地方都市で廃墟のような社屋でインスタントコーヒーを舐めながら増田をしなければならないんでしょうか。 全く理解出来ませんん、責任者は誰かと問いたいです。 この時期なのに暖房がいるとか、ここはもしかしてロシアとか
東京のとある大学で四年生をしている者ですが、すこしショッキングな出来事がありました。 学内で私は政治経済学部に在籍しており、どちらかというと経済より政治畑の老教授のゼミに在籍しております。 第一志望のゼミに落ちて拾って貰ったのですが、内容は充実しており、私はそれなりに満足していました。 話は遡って2009年11月のこと。 ゼミでの講義に一段落がつき、なんとなく緩んだ雰囲気になり ゼミ内のとある男子学生が、老教授にこんな話を振りました。 「先生、新しい内閣ってどんなもんですか?」 言うまでもなく、当時麻生さんから政権交代したばかりの鳩山内閣のことです。 学術的にまじめな返答を期待してでのものでなく、談笑の一部分として振られたものでしたが、 老教授はいつもは全くといっていいほど、時事関連の講談をしてくれないので、私は大きな関心を持って聞き耳を立てていました。 「麻生サンはねぇ……言っちゃなんだ
三歳の時いったんは自閉症と診断された。言葉をしゃべらなかったからだ。 幼稚園に上がるまで言葉はしゃべらなかったし、たぶんしゃべれなかった。 でも、本は読めた。字も書けた。しゃべることができなかった。 小学校に上がってからも苦労した。 一文字ずつ指で押えて読んで行けば音読することはできた。 でもぱっと文章を見た時に意味はわかっても音読ができない。 一字一句間違わずに読むことができない。 カタカナは特に形がそっくりだから読みわけができなかった。今もできない。 漢字は逆にパッと見の形で判別がつきやすいので読みやすかった。 ひらがなは多少形が違うので判別は付く。カタカナはからっきしだ。 そうするうちにだいたいの単語の並びと前後のつながりから、自分で勝手に読みを生成するようになった。 その読みはだいたい正しくなかったが、音読しない限りばれることはなかった。 ただ、他の人が言ってる単語がたまにわからな
私は映画やら漫画やら音楽やら舞台やら絵画やらが好きです。 サブカルって言葉はもう死語でしょうか。そういうもの。 ちょっとオタクよりのものからオシャレなものも、クラシカルなものも好きです。 中学高校あたりからそういう感じだったので、 大学では芸術を学ぶことにし、無事そういう学科にはいることができました。(美大じゃないよ) サークルは映研にはいり、趣味を共有できる仲間たちと、毎日楽しい日々をすごしています! と、思う。そんな私だと思う。間違いじゃない。 でも、中学のころからいつも心にひっかかってることがある。 「私は、芸術が好きなんじゃなくて、 “芸術が好きな私”が好きなだけなんじゃないだろうか?」 大学に入って学科やサークルの人たちと喋るうち、その思いは強まった。 みんなが私よりもっと単純に、もっと純粋に、芸術を愛しているように見える。 いや、皆結局自分が好きだけど、気づいていないだけ?心の
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