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戦争と日本に関するm_onoのブックマーク (8)

  • 日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?

    6月23日、沖縄の組織的な戦闘が終結。大営が、いや日が何を考えたかというと、「土決戦」です。沖縄は「土」じゃないんですね。とうとう米軍が日土」に攻めてくる、その時に政府、軍の首脳がどう考えていたのか。むろん、勝てっこないことはまともに考えればすぐに分かることです。

    日本軍の最高幹部たちが考えていた「本土決戦」とはどのようなものだったのか?
  • フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS

    大岡昇平の小説などでも知られる、フィリピンでの日米決戦。日軍はフィリピンで何をしたのか。そして両国の友好の道筋と、今後の課題とは。アメリカ・フィリピン・日の3カ国にわたる国家・社会関係史の専門家、一橋大学社会学部教授の中野聡氏が解説する。TBSラジオ荻上チキSession-22 2016年01月27日放送「天皇・皇后両陛下がフィリピン公式訪問。戦時中、日軍は何をしたのか?」より抄録。(構成/住麻子) ■ 荻上チキ・Session22とは TBSラジオほか各局で平日22時〜生放送の番組。様々な形でのリスナーの皆さんとコラボレーションしながら、ポジティブな提案につなげる「ポジ出し」の精神を大事に、テーマやニュースに合わせて「探究モード」、「バトルモード」、「わいわいモード」などなど柔軟に形式を変化させながら、番組を作って行きます。あなたもぜひこのセッションに参加してください。番組ホーム

    フィリピンで日本軍は何をしたのか?/中野聡×荻上チキ - SYNODOS
  • 永遠に「敗戦」が続く国で(田村淳)|ポリタス 戦後70年

    戦後70年にあたり、僕がいま、自分の中でどうもうまく腑に落ちていないことを、みなさんに聞いてもらいたいと思います。それは「日はいつまで敗戦国なんでしょうか?」ということです。 僕は1973年生まれなので、敗戦国である日に生まれ育ち、敗戦国というのが何なのかわからないまま大人になりました。どうしたいきさつで日戦争に負けたのか、そうしたことにはっきりと関心を持つようになったのは、35歳になってからです。 僕は山口県の出身で、広島と長崎に親戚がいます。子供のころ、夏休みになるとどちらかの親戚の家に遊びに行きました。そうすると、いとこのおばちゃんとかから当然のように「ここに原爆が落ちた」という話を聞く。あとは『はだしのゲン』の漫画を学校で読んだり、終戦記念日には意味がわからないながらも黙とうを捧げたり、育った環境からか戦争への意識は高いほうでした。 それでも、子供の僕が持っていた戦争のイメ

    永遠に「敗戦」が続く国で(田村淳)|ポリタス 戦後70年
  • 理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳

    僕は学生時代、広島で育ったのですが、土地柄やはり平和に関する教育というのは多かった気がします。 今でも覚えているのですが、小学生の時に原爆の体験談を聞いて作文を書けというのがあって、周りが揃って原爆は絶対許せないみたいなのを書いてる中、天邪鬼っ気が働いて、原爆が落とされるのは戦争だったし仕方ない面もあったかと思う。ただ、戦争を早期に終わらせる威嚇目的ならわざわざ街のど真ん中に落とさんでも東京湾とか、人がおらんとこに落として威嚇してもええんとちゃうんか? 他の方法あったやろ。 みたいなことを書いて提出したら、職員室に呼び出されて烈火のごとく激怒されたことがある。 まぁ広島とは言え、別に広島生まれではなかったからね。親族が死んだとかもなかったしさ。小学生の理解できる歴史観には限界があるよね。 でも今世界情勢や社会の歴史についてある程度理解ができる立場にたって振り返ってみると、やっぱ原爆は極悪す

    理由はどうであれやっぱり一般市民40万人皆殺しって原爆は畜生の所業だと思うんだよナァー - 拝徳
  • スプートニク日本ニュース|経済、科学技術、ビジネス、政治ニュース

    スプートニク日のニュースサイト。政治、経済、国際、社会、スポーツ、エンタメ、科学技術、災害情報などの速報記事と解説記事を掲載しています。

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  • 強制収容所から酷い落書きがされた家へ帰還した日本人家族の写真。それを見た外国人がどんなコメントをするのか覗いてきた|誤訳御免Δ(←デルタ)

    元ネタ reddit.com すいません。 今日も少し重たいテーマになってしまいました。 どうしても頭から離れないトピックだったもので・・・ なんでしたら裏ブログで更新した以下の記事から読まれては如何でしょう? ■現地レッドソックスファンの声「上原浩治は money in the bank 」その意味は・・・ 上原の明るい話題で気力アップされた方もそうでない方も続けますね。 お題は、記事タイトルの通りです。 長く苦しい日人強制収容所生活からやっと家に帰って来れたと思ったら そこには僅かな希望を打ち砕くような中傷落書き。 しかし、気丈にもその落書きの前で写真を撮っていた日人家族がいました。 その写真を見て外国人たちがどんな感想を漏らすのか? では、興味の無い方もぜひ続きを読んでみて下さい。 <注: 写真の家族は正しくは日系アメリカ人かもしれませんが、ソースが 日人としていますので、以下

  • 祖父の語るところによると

    OGAWA Kandai @grossherzigkeit 「偉大な先人たちは、こんなだらけた日をつくるために戦い、死んでいったんではない」みたいな言説があるけど、そういう危機の時代で祖国のために身を挺した先人が一番つくりたかったのは、それこそ「鼓腹撃壌」の世ですよ。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit番となって、またメディアなどで「あの戦争を忘れるな」的な企画が組まれる季節になってきたなあ。ただ気付けば当方の親族間に、戦争の記憶を語れる人はめっきり減ってしまった。 OGAWA Kandai @grossherzigkeit 父方の祖父は旧制中学を出て製鉄所の技工をしていた、まあ当時ではインテリの部類に入れてもいい階層だったが、それが徴兵でニューギニアに放り込まれて地獄を見て、戦後は一貫して日社会党支持だった。アカでも革命家でもなく、ひたすら忠実な「戦後民

    祖父の語るところによると
  • リアリズムと防衛を学ぶ » 「戦争なんか起こるわけがない」は思い込みだという歴史的実例

    は長らく平和を謳歌してきました。そんな中で防衛体制の整備には「戦争なんか起こるわけがないのに…」という懐疑論が常にともないました。どころか、「危機がもし起ったら」と考えること自体が危険思想である、戦争が好きな軍国主義者だ、という風に非難された時代もありました。 ところが歴史的に見て「戦争なんか起こるわけがない」という見通しが外れたことは多くあります。 「アルゼンチンが戦争なんかするわけない」 いまから30年前の1983年4月、「フォークランド紛争」という戦いが起こりました。アルゼンチンとイギリスとの紛争です。きっかけは、イギリス領フォークランドに対し、アルゼンチンが突然侵攻を開始したことでした。 ですが紛争勃発の直前まで、戦争なんか起こるわけがない、意見が強くありました。それはかなり論理的なものでした。例えば83年4月5日に発売された雑誌ビジネスウィークは、戦争にいたる可能性は低い、と

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