スイテ37010形 → スイテ39形[編集] スイテ37010形は、特急「富士」用として1930年に鉄道省大井工場で2両(スイテ37010・37011)が製造された一等展望車で、基本構造はスイテ37000形に準じるが、展望室は国際連絡列車としての「富士」の性格や、当時鉄道省が海外で実施していた外国人観光客誘致政策との連動企画として、桃山式と呼ばれる御殿造りの豪奢な内装とされた。定員は、一等18名、展望室12名である。 1941年10月の称号改正によりスイテ39形とされ、スイテ39 1・2が付番されたが、戦時中は使用停止となり、戦後は2両とも連合軍の接収を受けなかったことから特急用として整備された。もっとも、戦時中空襲により破壊された1は内装部材の一部を比較的状態の良好であった2に提供して簡素な洋式内装で復旧しマイテ39 1に改造、部材の提供を受けた2は新造以来の桃山式で復旧してマイテ39