田宮が中南米から帰国して半年後。盛田から次なる使命が与えられた。 「ハワイにソニー・アメリカから切り離した、本社100%出資の現地子会社を設立しろ」 当時、ハワイはソニー・アメリカのロサンゼルス支店の管轄の下、代理店経由で商売を行っていた。資本金5万ドルを持って、田宮がたった1人でホノルル空港に降り立ったのは1968年5月。約1ヵ月の間でオフィス、倉庫を探し、大急ぎで最低限の従業員を雇って会社を設立し、日本人2人を含む総勢6人でスタートした。ソニー・アメリカに、小さな兄弟 ソニー・ハワイ(Sony Hawaii Inc.)が誕生した。 しかし5万ドルの資金はすぐに底をつき、「田宮商店」は火の車。田宮は最初の2〜3ヵ月間の自分の給料を、電気代や他の社員の給料に充てたほど、資金繰りが苦しかった。日本から商品もまだ到着しないため、出ていくお金はあっても入ってくるお金はない。「明日はどうしよう..