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社会と反動に関するmadashanのブックマーク (3)

  • 武&山根の展覧会レビュー 特別編 ふらっと公園に訪れるすべての人々への暴力──宮下公園がナイキ・パークに!?/武 盾一郎

    武&山根の展覧会レビュー 特別編 ふらっと公園に訪れるすべての人々への暴力──宮下公園がナイキ・パークに!? ── 武 盾一郎 ── 投稿:2008年10月08日  著者:武 盾一郎&山根康弘 渋谷駅前宮益坂下交差点を、明治通り沿いに原宿方面に歩いて行くと、左手に「うなぎの寝床」のように細長い公園がある。宮下公園だ。その公園が知らない間に有料「ナイキ・パーク」になろうとしている。隠された問題は、ふらっと公園に訪れることが出来る全ての人々への暴力なのだが、なかなか誰もそこに気付けないところ、だと僕は感じるのだ。 宮下公園は砂場などの子供用遊具があったり、会社員が昼寝や昼をしたり、恋人同士がイチャイチャしてたり、ホームレスが暮らしてたり、夜中若者が遊んでたりと、東京のごくごくありふれた公園のひとつでもあるが、それ以外にちょっと意外な特徴がある。 ●宮下公園の意外な3つの特徴 1:デモの集会所

    武&山根の展覧会レビュー 特別編 ふらっと公園に訪れるすべての人々への暴力──宮下公園がナイキ・パークに!?/武 盾一郎
    madashan
    madashan 2008/11/19
    ナチュラルボーンtoファシスト大活躍。良い/良くない話とか勝手に決めるな>「さらに、あまりいい話じゃないですけれども」
  • 共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて

    最近発表された、菊池恵介「植民地支配の歴史の再審――フランスの「過去の克服」の現在」(金富子・中野敏男編『歴史と責任――「慰安婦」問題と一九九〇年代』(青弓社、2008年6月)所収)は、フランスにおける植民地主義の問い直しに向けた動きとそれへのバックラッシュの相克を描いた、大変有益な論文であるが、『週刊朝日』の「いい加減にしろ!韓国人」の見出しについて考える上でも、重要な示唆を与えてくれる。 菊池は、現代フランスにおけるマイノリティー排除の論理を、「共和主義的レイシズム」として分析する、ピエール・テヴァニアンの見解を紹介している。菊池の文章を引用しよう(強調は引用者)。 「(注・テヴァニアンは)国民共同体の文化的マジョリティーの側が、「共和国」対「共同体主義」という虚構の二項対立を作り出し、フランス共和制の礎となる普遍的理念の名において、マイノリティーの排除を正当化しているというのである。

    共和主義的レイシズム――『週刊朝日』見出し「いい加減にしろ! 韓国人」補足② | 私にも話させて
  • フランス共和主義とシオニズムの危険な関係-「郊外蜂起」から見えてくるもの

    「蜂起は決して道徳的状態ではないが、しかしそれは共和国というものの 永久的状態でなければならない。」 ――サド 「フランス人よ、共和主義者たらんとすればいま一歩の努力だ」 「郊外蜂起」以前/以後 2005年10月27日から11月半ばまでつづいた、ブーナ・トラオレとジエド・ベンナという「フランス人」少年の痛ましい死を発端としたフランスの「郊外蜂起」。これに対するフランス政府の対応のうちには、自らの過去に対する無感覚さが認められた。なぜならば、植民地主義の遺産たる移民を出自とする者たちが多く住まう「郊外」に、アルジェリア独立戦争に由来する「非常事態令」を適用したのであるから。 その後もフランスでは、シオニスト知識人にして「新反動家」であるアラン・フィンケルクロートがこの「郊外蜂起」を巡り11月17日付のイスラエルの日刊紙『ハアレツ』紙上でおこなった人種主義発言(「民族・宗教的特徴を有する反乱

    madashan
    madashan 2008/05/15
    植民地主義を軸とした二国間の野合と、日本におけるシオニスト知識人受容について。
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