多摩ニュータウンができて50年以上。総面積約3000ha、計画人口34万人という日本最大のニュータウン計画だったがゆえに、「第四の山の手」から「陸の孤島」「オールドタウン」まで、よくも悪くも世間の注目を浴び続けてきた街だ。 現代の東京に住んでいると当たり前の存在になっているが、「巨大な実験都市」とも言われるように、実は日本史上でも二度とあらわれない、貴重な場所なのかもしれない。 建造物は50年たつと文化財の仲間入りできるというけれど、一方で多摩ニュータウンは生きた街である。東京都は2040年代を見据えた都市計画を立てているらしい。 多摩ニュータウンの過去から未来へ。 これを機に、ニュータウン以前の多摩丘陵の面影、多摩ニュータウン黎明期、バブル~平成の多摩ニュータウン、そして未来の多摩ニュータウンについて…四世代にわけて、実際に歩いてみたい。 多摩ニュータウンのなにがすごいのか 1971年、
「◯歳までお互い ひとりで暮らしてたらさぁ、 うちら一緒に住むのもいいよね」 今よりずっと若いときに ポンと出たあの言葉が、 まさか現実になるなんて。 あのときはお互い 信じていなかったでしょう? ふたつの洋室は、 それぞれの部屋として。 和室は一緒にゴロゴロする部屋に。 彼女が見つけてきた物件は、 ふたりで暮らしていくには なにも文句がない間取り。 北側の洋室は私の部屋。 置いてある家具は ベッドとデスクくらいなので、 6帖の空間がさらに広く感じる。 南側の洋室は彼女の部屋。 私の部屋と同じ6帖のはずなのに、 物があふれているせいで 実際よりコンパクトに見える。 フルリフォームされた内装は、 ホワイトベースのさわやか仕上げ。 「おばあちゃんになって もし家にいる時間が長くなっても、 部屋が明るいと気分がいいでしょう」 ふわりと笑って彼女は言う。 そうね、私たち一緒に 元気なおばあちゃんに
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く