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2006年2月24日のブックマーク (2件)

  • YouTube - (PV) レミオロメン - 3月9日-March 9

    第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を 第1回全日剣道選手権大会決勝 榊原正錬士対阿部三郎教士 第1回全日剣道選手権大会は、昭和28年11月8日、東京の蔵前国技館で全国より53名の剣士が参加して開催。1万人を超える 観衆が集まった。 大会は、戦前の剣道界の慣習であった専門家、非専門家の区別を廃し、選手の資格は年齢、段位、称号などに一切の制限を設けず、 各府県の予選を経て代表者を出し、剣道日一を決するという画期的な構想によるものだった。 優勝の榊原正は大正9年愛知県蒲郡市生まれの33歳、名古屋矯正管区法務教官(剣道師範)、のちに剣道範士八段。戦前は名門東邦 商業で活躍した剣士。準優勝の阿部三郎は大正8年福島県相馬生まれの34歳、警視庁の剣道選手でのちの

    mahal
    mahal 2006/02/24
    何故今更?と思いつつ、このPVは好きだなぁ。
  • オタクがキモイと言われるようになったのはいつからだっけ? - ものかきや控え室

    20世紀の終わりから21世紀のはじめにかけては、「オタクはキモイ」というのは郵便ポストが赤いぐらいアタリマエのことだ、と言われるようになっていた。 だもんだからついつい、オタクはその発生当初から「キモイ」ものだと思わされちゃうんだけど、よくよく考えてみると、少なくとも80年代においては、オタクは「キモイ」ものではなかったような気がする。 この国におけるオタクの元祖は誰なのか、というと、そりゃあもうヴァンパイヤの系譜よりも明らかに、手塚治虫大先生が「真祖」であると言い切れる。で、手塚先生はキモかったか?答えは否だろう。どう弁護しても変人であることは免れない方ではあったが、ただそこにいるだけで時に生理的レベルに達する不快感を醸し出すような人物ではなかった。 現在大流行の「萌え」に直結する概念の創始者だとワタクシが勝手に断じている吾ひでお先生の場合、確か「不条理日記」だと思うが「正常だとサベツ

    オタクがキモイと言われるようになったのはいつからだっけ? - ものかきや控え室
    mahal
    mahal 2006/02/24
    まだ青っちぃ頃、俺は「オタクと言ってももうちょっとポジティヴに捉えていいのよ」、とか嘯いてた気がするんで、その頃からキモかったのだろう。