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ブックマーク / note.com/kous37 (2)

  • デモとボランティア:「なぜ日本の若者は社会運動から距離を置くのか?」と言う問いについて考えてみた。(1)|kous37

    デモとボランティア:「なぜ日の若者は社会運動から距離を置くのか?」と言う問いについて考えてみた。(1) 社会学者について喧しい意見が飛び交う中、その動きに全く我関せずの姿勢をツイッター上でも貫いておられた社会学者がいて、ちょっと注目していた。社会運動を研究されている富永京子さんだ。 富永さんは社会学会の中でのいわばパワハラを受けた経験があり、ツイッター登録者でもあるその方に対して発言もされていた。またパワハラについての記事は下にあるが、個人名はあげていないのでそれについてはこの稿でも書くのは控えたいと思う。 富永さんはこうした「世間」による「社会学者に対する攻撃」についてどう考えているのだろうと思ったのだが、こうした経験もあり、発言に対しても慎重なのだろうとも思うし、また他の社会学者の方々とは感じ方は違うだろうなとは思う。また状況が変われば発言されることもあるだろうと思うので、今はその件

    デモとボランティア:「なぜ日本の若者は社会運動から距離を置くのか?」と言う問いについて考えてみた。(1)|kous37
    mahal
    mahal 2021/02/04
    「デモをしないのは愛国心が足りない」ってのは割と好んで使う煽りなんだけど、まぁそれをもうちょい穏当に言えばこういう表現になるかな>「「この社会、この生活を守りたい」という素朴な感情」
  • 近頃何かと話題の社会学について考えてみた。|kous37

    最近何かと話題の社会学について。 最近ネット上では何かと社会学が話題になっている。社会学という学問に対して風当たりが強い。当の社会学者たちはそれに対し、自己分析をしたりするわけでもなく完全に反発して反論している人がほとんどだが、反論すればするほど火に油を注ぐ状態になっているように思う。 もともと社会学とはどういう学問だったのか、あるいはどうあるべきなのか。これは逆に言えば社会学というある種の共同体の中にいる人たちにはわかりにくいことかもしれないので、私なりにちょっと考えてみた。今回は素描程度だが、時間のある時にもっとゆっくり書いてみたい。 社会学者自身の言葉をまず引用してみよう。鈴木謙介氏のサイトからだが、 「社会学とは、「異なる価値観をもった人間たちが多数集まって形成されるこの社会を解き明かす学問」である。」とある。 これにはさらに引用元があって、日社会学会の「社会学の世界へようこそ」

    近頃何かと話題の社会学について考えてみた。|kous37
    mahal
    mahal 2021/02/03
    これ>「本来ならば虚心坦懐に社会を調査し…どうあるべきなのかを考えるというプロセスがあると思うが、それ以前に…「社会はこうあるべき!」というのが研究者の中で決まっている…例外はあまり見たことがない」
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