『「私には何もできない」という現実―震災後数日間の私の思考―』で書いたが、東日本大震災で感じたことのひとつは、迷ったりどうしたらいいのかわからない状態は、非常にストレスになるということだった。そういう時、人は、相手のために行動するというよりは、迷う苦しみから逃れたくて行動してしまう。その時提示された「答え」らしきものに、簡単に飛びついてしまう。その結果として、「自粛・不謹慎」とか、デマメール拡散とか、支援に協力的でないように見える人を責めるとか、おかしなことになってしまうのだろう。わからないことを、わからないままで抱えておけない、人間の心の弱さを実感した。 「失われた20年」の日本社会に疲れてくると、人々は救世主願望を抱いて、自分たちの状況を劇的に変えてくれる存在を夢想するようになるのかもしれない。オヤジたちが「若者よもっと怒れ」「若者よ立ち上がれ」と言うのも、若者に救世主願望を投げかけて