昨年7月の九州北部豪雨で被災したJR久大線(福岡県久留米市-大分市)が14日、約1年ぶりに全線復旧した。豪雨で大分県日田市の花月川に架かる橋が流失して不通が続いたが、新しい橋が完成した。観光列車「ゆふいんの森」が駆け抜けると、沿線や各駅は歓迎一色に包まれた。 久大線は九州を横断する重要路線。「ゆふいんの森」だけでなく、豪華寝台列車「ななつ星in九州」も通る観光路線だ。橋の流失で不通だった光岡(てるおか)-日田(いずれも日田市)間でバスによる代行輸送が続いたが、JR九州が橋の架け…
西日本を襲った記録的な豪雨は、昨年7月の九州北部豪雨の被災地、福岡県朝倉市にも打撃を与えた。復旧工事や市民生活のためにかけた応急の橋は崩落し、道路も濁流で削り取られていた。昨年の豪雨から1年が経過したが、復興への道のりはまた険しくなった。 朝倉市杷木松末(はきますえ)の乙石川沿い。応急仮設道路が川の増水によって大きく削られていた。普段は復旧を進める工事車両が行き交うが、大型車両が通れない道幅だ…
石詰・乙石集落の追悼式の後、被災前の地区の映像が流れ涙ぐむ人たち=福岡県朝倉市杷木松末で2018年7月5日午前9時10分、矢頭智剛撮影 福岡、大分両県で関連死1人を含む40人が死亡し、2人が行方不明となっている九州北部豪雨は5日、発生から1年となった。福岡県朝倉市杷木(はき)林田で同居していた両親と祖母の3人を失った会社員、坂本貴志さん(47)は、1年が近づくにつれ胸が張り裂けそうになった。「『あの時、こうしておけば助けられたかもしれない』と考える時間が増えてきた」からだ。自宅は濁流にのまれ、跡地には今、改修された赤谷川が流れている。【安部志帆子、青木絵美】 豪雨の日、仕事を早く終えた坂本さんは午後4時半ごろに帰宅。「雨がすごいけん、避難しよう」と、父行俊さん(当時79歳)、母純子さん(同68歳)、祖母ヨリ子さん(同89歳)に話したが、3人は「逃げない」ととどまった。歩いて数分の妹(44)
福岡、大分両県で関連死1人を含む40人が死亡し、2人が行方不明となっている九州北部豪雨は5日、発生から1年となった。被害が大きかった福岡県朝倉市や東峰村、大分県日田市では被災現場などで追悼式があり、住民らが黙とうをささげて犠牲者の冥福を祈った。 住民5人が亡くなった朝倉市杷木松末(はきますえ)の石詰集落では住民主催の追悼式があり、住民らが献花した。屋外の予定だったが、この日はあいにくの雨で、集落内の選果場に約50人が集まった。 区長を務める小嶋喜治さん(62)は「元気だった方々が一瞬にして流され、どうにかならなかったのかとの思いが残る。集落にいつ戻れるか分からない不安があるが、工事が進んで、住める希望が出てくれば、住民の心も穏やかになると思う」と話した。
妻加奈恵さんの車から見つかったCDやETC車載器を見つめる田中さん=福岡県朝倉市杷木星丸で、宗岡敬介撮影 福岡、大分両県で40人(関連死1人含む)が犠牲となり、2人の行方が分からない昨年7月の九州北部豪雨。経験したこともない記録的な大雨は大量の土砂と流木を含んだ濁流へと姿を変え、山あいの集落を一気にのみ込んだ。「助けてあげられなかった」。5日、あの日から1年がたったが、家族を待ち続ける人も、失った人も、悲しみと自責の念が和らぐことはない。【宗岡敬介】 福岡県朝倉市杷木松末(はきますえ)の建築業、田中耕起さん(54)は、妻加奈恵さん(64)がまだ帰ってこない。今も仮設住宅には入らず、会社事務所で生活を続ける。「かあちゃんが帰って来るかもしれんけんね」。自宅跡地には、花が好きだった加奈恵さんのために色とりどりの花を植えたプランターを置き、水やりは毎日欠かさない。
九州北部豪雨で山から流出した樹齢132年のクスノキ(直径約120センチ)を使った彫刻作品「朝倉龍(りゅう)」が完成した。九州大の知足(ともたり)美加子准教授(芸術学)が福岡県朝倉市の杉岡製材所の協力を得て制作し、豪雨発生1年となる5日、被害の大きかった同市の杷木小学校に贈る。知足准教授は「災害で抱いた自然への畏れを和らげ、水害から地域を守る象徴になれば」と願う。 被害拡大の要因となった流木だが、本来の地域資源を生かして子供たちを励まそうと作品制作を企画。クスノキは豪雨時に流れ下った影響で年輪に沿って「目割れ」が生じやすく作業には困難も伴ったが、チェーンソーで大まかな形を切り出した後、ノミでうろこや竜の表情を彫り出し、約半年かけて完成させた。作品は縦横それぞれ105センチ、幅55センチ。
昨年7月の九州北部豪雨で大きな被害が出た福岡県東峰村で、6月2日に「ほたる祭」が計画されている。川の護岸や養殖場所が被害を受けて一時は中止を決めたが、豪雨支援への感謝を示そうと継続へかじを切った。今回はホタルが出るかどうかは分からないが、地元関係者は「ホタルの乱舞を必ず再生したい」と誓う。 同村では1980年に地元住民らが「かつてのホタルの輝きを取り戻そう」と「宝珠山ほたるを育てる会」を発足。宝珠山川を清掃して環境を整える一方で、宮崎や佐賀、山口など全国各地へ視察を繰り返し、ホタルの餌となるカワニナの放流や養殖場所も造った。 努力が報われて幻想的なホタルの舞が戻り、毎年開いてきたほたる祭は2017年で30回を数えた。だが、昨夏の九州北部豪雨で宝珠山川の護岸がえぐられ、養殖場所の小川は土砂で埋まった。ホタルやカワニナを入れた箱も全て流され、同会は31回目の中止を昨秋に決めていた。
修繕された体育館で開かれた松末小の卒業式=福岡県朝倉市で2018年3月16日午前10時11分、徳野仁子撮影 昨年7月の九州北部豪雨で校舎が被災した福岡県朝倉市立松末(ますえ)小(児童27人、塚本成光校長)で16日、最後の卒業式があった。統廃合により今年度で閉校する。豪雨後に別の小学校敷地に仮設校舎が建てられたが、卒業式は児童たちの思い出がつまった元の校舎で開かれ、6人を送り出した。地域住民らがこの日のために体育館などの土砂を撤去した。 豪雨当日、松末小には児童や住民ら計54人が避難し校舎で一夜を過ごした。校舎や体育館に大量の土砂などが流れ込み、体育館には土砂が2メートル近く堆積(たいせき)した。
あさくら観光協会事務局長 寄付金一部を復旧に 九州北部豪雨の流木をキャンプでの照明などに使う「ウッドキャンドル」に活用し、地域復興につなげる取り組みを、福岡県朝倉市のあさくら観光協会事務局長、里川径一(みちひと)さん(41)が始めた。インターネット上で支援を募ったところ目標の10倍に迫る475万9000円が集まった。支援者にウッドキャンドルを送り、寄付金の一部を復旧に充てるなどして元々、地域資源だった木々を復興の灯として生かす。 ウッドキャンドルは30~40センチの長さに切った丸太にチェーンソーで切り込みを入れたもの。着火剤を入れて燃やすとろうそくのように中心部から炎があがる。鍋を置けばコンロのように使え調理も可能だ。
九州北部豪雨から1週間。亡くなった加藤さん夫婦の自宅があった場所で手を合わせる男性=福岡県朝倉市山田で2017年7月12日午前9時52分、矢頭智剛撮影 九州北部豪雨の被災地では12日も、住民らが流木や土砂が流れ込んだ自宅の片付けに追われた。福岡県朝倉市山田では犠牲となった加藤年彦さん(87)と妻幹子さん(85)の自宅跡に花束が供えられ、夫婦を知る人たちが手を合わせた。 幹子さんは元小学校教員で、花束は教え子の男性が「お世話になった先生に手を合わせたいが、避難所生活をしていて現場に行けない…
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