うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
うまくいかない日に仕込むラペ 「あぁ、今日のわたしダメダメだ…」 そういう日は何かで取り返したくなる。長々と夜更かしして本を読んだり、刺繍をしたり…日中の自分のミスを取り戻すが如く、意味のあることをしたくなるのです。 うまくいかなかった日のわたしの最近のリベンジ方法。美味しいラペを…
私は「変な人」マニアだ。マニアといってもフェティシスムのようにそれらを「所有」したいとは思わないが。 現実から乖離した「変な人」ほど私にとってはリアリティがある。「オタク」というシニフィアンを好んで分析するのもそのせいかもしれない。 変な人の言葉は、日常に蝕まれた私の中にはない言葉が多い。新しい言語という意味ではなく、彼らとの会話の中で使う言語が違う意味を持ったりすることを言っている。 だから私は学生時代から、ゲイバーやビアンバーを飲み歩いていた。ショー関係をするところはお金が高いのでなかなか行けなかったが、社会人になって行った六本木の「金魚」のショーには感動した。無理矢理連れて行った友達は微妙な顔をしていたが。宝塚歌劇は好きな子だったので大丈夫だと思ってたがそうでもないらしい。 私はいわゆるヘテロ=異性愛者だ。好奇の目で同性愛者を見ていると言われたら反論しようがない。しかし同性愛者に限ら
先日の記事に寄せられたトラックバックで、気になったものに言及してみます。 結局のところ、文学にしてもエロゲにしても、届かなければ価値はないと思う。届いて初めて、それが面白いとかつまらないとか言えるわけだし。だから文学は「高尚」とか言ってそれを読まない奴を貶めるんじゃなく、もっと読者を広げる努力をしてほしい。消費されなければ届かないような遠い場所に伝えるべき読者はいる。逆に、エロゲはその面白さをいかに語るかという部分を文学に学ぶべきだろう。いや、既に文壇がえらいことになっているらしい文学よりも、映画の方がいいかもしれないけど。 文学でもエロゲでも、作品を、その良さを他者に伝えようと思うのなら怠惰であってはならない。「高尚」とか「萌え」なんて言葉をいくら重ねてもそのおもしろさは届かない。そんな与えられた「ことば」じゃなくて、わかりやすい自分自身の「ことば」で語れよ、と思う。「読んでみたい」と他
リリース、障害情報などのサービスのお知らせ
最新の人気エントリーの配信
処理を実行中です
j次のブックマーク
k前のブックマーク
lあとで読む
eコメント一覧を開く
oページを開く